眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

エクスペンダブルズ2(2012)

監督はサイモン・ウェスト

「3」の公開に合わせて、1と2が連続して放送されたのは大変素晴らしいことだった。しかも、地上波とBSとで交互にやってくれたのも、うれしい。洋画が興行的には不振の現在、こういった草の根運動に近い地道な放送が、いつの日か、新たな観客を生むと信じるしかない。映画をみる、というのは習慣によって身について行くので、何度も繰り返し繰り返しやる、それが重要なのではないだろうか。

作品としては、とにかく、みればいい、と。それだけである。それがすべてである、と。みればわかる、と言った方がいいのか。アクションの見せ場は、冒頭の要人救出パートが、見せ方がバラエティに富んでいるというか、緊密なアクションが組み立てられている印象。中盤のチャック・ノリスが出てくる廃墟と化したビル街、クライマックスの空港は、空間が少々だだっぴろいことで、工夫がし難いのかもしれない。無論これはこれで充分、盛り上がるところではあるのだが。「3」はクライマックスを、荒れた土地の中の廃ビルでのアクションとして、立体的な見せ方をしていた。もしかしたら、2の反省からそうなったのかもしれない。「ザ・レイド」や「ジャッジ・ドレッド」からの刺激を受けた可能性もあるが。

リアム・ヘムズワースのパートはやはり2回みても、そこだけが柔らかい演出がされていて、所謂フラグがたっている感が最初から強い。そのせいでか、真面目な青年を見つめるスタローンの視線は、慈しむように温かい。女性をみるときよりもやさしいのではないか、という目である。リアムの姿に、遠い日の自分の姿が見えているのだろう。それは他のメンバーにとっても同様だ。

男たちの演技は決して上手いわけでもない。ただ、彼ら自身の踏んできた場数の分だけ、演技以上の積み重ねがある。それを私たちは知っている。彼らの実際の経験と、それを知る観客の間には、相通じる感覚がある。彼らの連帯感は、こちらとも繋がっている。それがこのシリーズの強みだと思うのだ。ロートルと笑わば笑え。だが、年を取らないと培うことの出来ないものが、確かにある。

見返していて、冒頭部の、飛行機からの砲撃で敵をなぎ倒すところ、あそこはミニチュアの爆破であると気付いた。爆炎がCGかと思っていたのだが、ミニチュアを爆破して、人間をCGで入れてるんだな。なかなか巧妙。予算の関係もあるかもしれないが、まだまだ効果的な使いようはあるものだ。そういえば「アジョシ」でも、子供らを監禁していた工場を爆破するところ、あれもミニチュアだった。ちょっとしか映らないけど、一瞬だからこそ、ああいう撮り方も出来るということなのか。ミニチュア特撮愛好家としては、気になるところである。

4作目がちゃんと作られるとしても、2年後になるのか。2016年。遠いな。過ぎてしまえば、あっという間だが、待っている間はなかなかに長い。誰が監督になるのだろう。希望としては、ジョン・ウーかな。めっきりアクションを撮らなくなったが、もう一度、華麗な、そして尋常ではないアクションを見たいと思う。ついでにチョウ・ユンファにも出てもらえないだろうか。二丁拳銃、みたいねえ。


↑こういう写真をみると、スコセッシはスタローンを使ってイタリア系移民のドラマを撮るべきだったと思うんだ。