眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

大江戸恐龍伝 第一巻

夢枕獏・著/小学館

巻頭の献辞にこうある。
「メリアン・C・クーパー氏に そして 円谷英二氏に―」
時代小説としての面白さは勿論、怪獣小説としても本気のものを描く。キングコングゴジラの産みの親へ捧ぐというのなら、それは相当な気合の入りようなのだろう。手にとってパラパラと眺めていたが、これに気付いてしまうと、読まないわけにはいかなくなった。

明和八年(1771年)、平賀源内は、肥後で巨大な龍の骨をみる。そして時をほぼ同じくして、嵐で遭難した船が、ある島に流れ着く。生きのびたものは、そこで世にも恐ろしい事態に遭遇していた…。

江戸時代に恐龍が現れる…といった程度の情報しか得ていない状態で読んでいるので、中盤に登場する巨大生物が恐龍なのかどうか、わからない。もしかしたら、得体のしれない異常進化した爬虫類なのかもしれない。いや爬虫類かどうもまだわからない。そいつが巨大である、というくらいしか、まだ描写されていない。しかも、船が漂流して、島に漂着するという部分は、第一巻の中ほどに置かれているが、今のところ、平賀源内と全く関わりがない。源内が龍の骨を目撃する場面は、冒頭部におかれているが、これもまた、インパクトのある描写としては印象に残るものの、それによってドラマが転がる、というわけではない。つまり、全五巻を通しての面白さを期待してくれ、ということなのだろう。長い物語の中で、今描かれているものは、その一部でしかないのだ、と。登場人物もまだ出揃っていない。話しの先もまるで見えない。まだまだ序盤なのだ。第一巻では、本格的なドラマはまだ全く動きだしていない、と言ってもいい。だがそれは、悠揚迫らぬ、堂々たる筆運び、と言いたい。書く側に余裕がなければ、ある種の豪胆さがなければ、このような時間をかけた小説はなかなか描けないのではなかろうか。そんなところも一緒に愉しみたい。

やりたいことが色々あり過ぎて、結局物に出来たことがあまりない。それゆえの焦りを抱えている、そんな平賀源内を中心とし、同時代の有名人の歴史的な事実を、うまく擦り合わせて話しを進めるところが、なんとも愉しい。特に重要なパートナー役として、丸山応挙も登場。龍を巡る話とすれば、応挙を思い浮かべるのは割合と容易かもしれない。が、実際にそれを物語として結びつけることは夢のような話だ。彼らがどんな龍を目の当たりにするのか愉しみ。他に登場する人物も、書いてしまうとネタばれというか、読む楽しみを奪いかねないので、今は書かない。

単に時代冒険小説、ではなく、伝奇小説的な面白さがあるのもうれしい。ひと頃の高橋克彦を思い出させるのは、大聖観音寺に担ぎ込まれた乞食僧・有馬作之進の話し。彼の残した言葉、品、これらはメインの物語とどうつながるのか。わくわくする。謎があちらこちらにばらまかれた第一巻、あれよあれよというまに一気読み。面白かった。続けて二巻も読みたいところ。

大江戸恐龍伝 第一巻

大江戸恐龍伝 第一巻