眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

新刊・新作映画への関心は極度に薄れてしまった、と思う年の瀬

週刊文春のミステリーベストテンが、続いて、このミステリーがすごい!も発表になりましたな。ミステリファンにとっては、毎年の年末のお楽しみではありましょうが、何一つとして読んでおりません。新刊を嬉々として読む、という習慣は、無くなってしまいましたので。「このミス」がまだここまで世に浸透していなかったころは、ずいぶんと参考にさせてもらいました。特に、89、91、92、93年版(表記の変更で90年版はなし)あたりが一番興味を持って読んでいた時期で、89年なんて国内作品のベストテンは全部読んでますな。ああ、情熱があったのだなあと。25年前も前ですから、遠い目もしてしまう。
25年も経てば、作家の顔ぶれも、今とは違っていて当たり前。でも、国内作家は意外といってはなんだけれども、結構、現役で今も書いておられる方も多いですが、海外作家の名前は本当に懐かしい。無論、本国では今も作家業を続けているのかもしれないですが、翻訳が出なくなった人たち、ですな。アンドリュー・ヴァスク、ロバート・リテル、マイクル・Z・リューイン、ウィリアム・ディール、クレイグ・トーマス、リック・ボイヤー、バーナード・コーンウェル、ロバート・R・マキャモンなどなど…。もしかしたら、今でも出てるよ!という人もいるのかもしれませんが。あの頃、ヴァスクを読まねば、冒険小説・ハードボイルドファンではない、くらいの勢いの人気でしたが、結構あっさりと失速しましたなあ。リューインもネオハードボイルドとか言われたあたりですけれど、その言葉ももう死んでしまいましたな。皆それぞれ、信頼のブランドであったわけですが、次第に内容が地味になったり、違う方向へ進んだり、あるいは単に飽きられたり…人気商売というのは、そういうものとはいえ、なんとも寂しい気がします。諸行無常です。
だからといって、作品そのものが死んでしまった、読むに耐えないものになった、というわけではないでしょう。今読んでも面白いものはあるはずで、しかしながら、これも当たり前の話しですが、よっぽどの物好きでなければ、旧作を振り返るなんてことはしないものですな。何せ、未だに新刊はボコボコ出るんですから。出版不況、海外文学不況であっても。そっちに気を取られますわな。でも人というのは、前を向いて生きるのですから、それはしょうがない。過去のことは忘れてしまっても、別に問題はないでしょう。中には今も、まるで古びない作品もあって、それはそれで読み継がれていけばよろしい話しで、徒に、過去を捨てることを悪、と思うのは、どうかという気もしてまいりましたが、内心ではもう諦めました、というところでしょうか。
もう一度、読み返してみたいな、と思う作品は、「男たちは北へ」(風間一輝)、「生ける屍の死」(山口雅也)、「炎流れる彼方」(船戸与一)、「古い骨」(アーロン・エルキンズ)…。あ、ロス・トーマスとか、パトリシア・ハイスミスとか、ここらもちゃんと読みたいなあ。ルール・レンデルとか、完全に消えてしまったね。
本も、映画も、新作を追いかけるのに疲れました。気がつけば発売になってる、公開になってる、という、あれよあれよという、急いでいる感じに付いていけないんですよ。どうせすぐ忘れられるのに、と思うと余計に。よく皆、いちいちはしゃげますね。精神的に、まだまだ若いんでしょうね。嫌みのように聞こえますが、そんなわけでは決してない。むしろうらやましいくらいですな。新作は、二年落ち、三年落ちくらいで、ちょうど良い感じです。読み損ねた、観損ねたものを、地道に追いかけて行くくらいがいいですね。まあ、年を取った、ということでしょうな。
追記:アンドリュー・ヴァスクと書いていますが、ヴァクスの間違いですね。昔もよく間違えたな。