眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

ジュラシック・パークⅢ(2001 米)

監督はジョー・ジョンストン

ブルーレイで。

概して評判が悪い。1に比べてどうだ、とか。と言われると、1はそんなに素晴らしかったか?と思ってしまうのだが、どうなのか。むしろ、科学がもたらす危険について云々というテーマを発展させず、島からの脱出にしぼった活劇として作ったことは称賛に値すると思っている。そもそも、続きを作るというには無理があると思うのだ。どうしても繰り返しにしかならないだろうから。

閉鎖された空間であることが強調されている。島そのものが閉鎖されているが、飛行機に閉じ込められてのパニックを手始めに、研究施設でラプトルに追い詰められ、親子の再会も塀で隔てられ、プテラノドンの飼育ドームで危機に陥り、クライマックスの船上では文字通り、檻に閉じ込められてしまう。面白いのは、完全密閉とはならず、必ず、ぽっかりと突然逃げ道が開くところ。それをご都合主義ととらえることも可能だが、その逃げ道をみせるタイミングは絶妙で、娯楽映画としての痛快さの方が勝っている。閉鎖空間という描写の繰り返しは、心理的なものとしての意味合いもあるし(夫婦関係、親子関係の閉塞感)、最終的にプテラノドンが飛び出す、しかも大空を飛ぶ、という開放感へと繋げられる。

滑稽なほどの俗人である主役夫婦、相変わらず子供との距離の取り方が微妙なグラント博士など、人物描写も抜かりない。笑いをまぶすのもいい感じ。スピルバーグ映画には、残酷さと黒い笑いは不可分。その辺を、脚本も監督も良く判っているのだろう(脚本は、ピーター・バックマン、アレクサンダー・ペイン、ジム・テイラー。おそらくバックマンが最初に書き、ペインとテイラーがリライトしたのだろう。しかしペインとテイラーとは。今となっては意外な起用だ。笑いの部分などは、彼らの手によるもののような気がするが、どうなのだろう)。

恐竜大行進なのは今回も変わらず、みているだけで愉しい。スピノサウルスがティラノサウルスを瞬殺する強大さをみせつける場面が、迫力。恐竜が戦うという描写をリアルにみせるのは、これくらいがぎりぎりな気がするな。これ以上やるとアニメーションになってしまって、現実世界での出来事という臨場感が消えてしまうのではないか(最近のCG映画はそれをやり過ぎているために、実写と見まがうようなものが絵空事になってしまっている。抑制を利かせる、というのは映画を作るうえで重要な要素なはずだが、もう今は、これでもか!という方を取るようになった。観客の嗜好がそうなっているということもあろう。いいかどうかは判らないが、個人的な好みではない)。あとはやはりプテラノドン。これが最初出てくるとき、霧の中から、ドテドテと歩いてくる。この外し方。で、そこから飛翔させるという見せ方。大体、プテラノドンが歩くなんていう描写、普通考えないよ。そこをみせよう、というのが素晴らしい。

それと、この作品は3Dではなかったと思うのだが、随所にそう思わせるようなカットが多い。先端や奥行きを意識した撮り方がされている。1を3D化するのは面倒だったろうが、これはしやすいんじゃないかな。されないだろうけれど。

しかし2001年の製作か。ずいぶん前の映画になってしまったのだなあ、とまたしてもびっくり。本当に時の経つのは早い。ウィリアム・H・メイシーの吹替をやってる納谷六朗さんも亡くなったし。そんなことを思っているうちに、いよいよ4作目「ジュラシック・ワールド」も公開ですな。

監督はコリン・トレボロウ。メジャー映画はまだないので、どうにも判断のしようはなし。出演者も、クリス・プラットとかブライス・ダラス・ハワードとか、ちょっと地味目。それに物語も、遺伝子工学によって新種を作ったとか言ってますな。それは、もう恐竜ではないんじゃないのか…。ま、元々、完全な恐竜ではなかったが…(確か1作目では、欠落した部分をカエルの遺伝子を使ったといってた)。「ジュラシック・パーク」の影響で作られた(作られている)安い映画みたいな話になってまいりました。レジェンダリーピクチャーズの製作でもあるんですね。ここは、「パシフィック・リム」や「ゴジラ」のように、やり過ぎているけどリアルさをぎりぎり失わない見せ方をしてきているだけに、期待したい。