眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「狼の帝国」 感想


ジャン=クリストフ・グランジェ/高岡真 訳/創元推理文庫

トルコの政権内部にも根付いているという(本当に?)極右勢力、灰色の狼(ボズグルト)について大変丁寧に語られている。かつては世界の覇権を握ったオスマン帝国。その崩壊後も、帝国復活を目指す民族主義者たちによるテロ活動と、やがて放逐されて犯罪のプロと化していったこと、といった彼の地の知られざる姿が浮き彫りにされている。グランジェは作家になる以前はルポライターだったらしく、その頃に培ったのであろう取材力をみせつけるかのように、トルコの極右組織についてあますことなく語りつくしている印象で、そこがひとつの読みどころ。確かにかなりの分量が割かれているが、そちらに偏り過ぎた感じにはなっていない。本筋を邪魔するような、中途半端なルポルタージュにはなっておらず、娯楽小説として成立させているところが、さすがベストセラー作家である。

ネタばれしています。

物語上では、偶然が重なる。顔を捨てて女工となっている凄腕のテロリストが、工場が襲撃されてショック状態にあるところを、警察が発見。偶然にも洗脳実験のモルモットを探していた警察は、トルコ人をフランス人に出来るかという実験に利用する。洗脳されてアンナとなった彼女が勤めているチョコレートショップに、買い物に来ていた常連が、彼女を追いかけていたアゼール。アッケルマンとマチルドが、医者同士とはいえ、大学時代の知り合い。偶然にも、という瞬間が何度も訪れるのだが、これはもはや運命の巡りあわせと思った方がよろしい。安易な作劇のようにも受け取れるが、むしろ、より面白くしようとした結果なのではないか、とも思う。もっともっと、と話しを盛って行くうちにこうなったのでは、という気がする。映像化したときなど、終盤でアゼールが姿をみせた瞬間には、アッ、あいつだったか!という驚きにもなるはずで。作者はたぶん、そういうことをイメージして書いていると思うのだが、ちょっと外してしまったのかな、という読み方も出来る。

語り手として登場してくるのは3人。夫の顔が崩れて見える、夫が全くの他人に思えると悩むアンナ。トルコ人街で起こった3件の猟奇的な殺人事件を追う刑事ポール。ポールが捜査協力を頼む、元警部シフェール。話しは、アンナと、ポール&シフェールの二つに分かれているが、これが途中で一つの流れにまとまっていく。堂々とした話し運びで、余裕たっぷり。

夫が、整形した別人ではないかと偏執的な妄想にとりつかれそうになったアンナが、実は整形していたのは自分だと気付く場面のショック。急襲されて、そこからの脱出を図るアクション。非常に映像的でもあり、おそらくジェイソン・ボーンの映画なども頭にあったのだろうが、まあそもそも記憶を失った人間の闘いという点で、既にロバート・ラドラムの世界のようなものでもある。ということで、失われた自分の過去を追いかけるうちに、記憶が戻り、憎むべき敵に向かって突進していくアンナの姿には、サスペンスやミステリの主人公というよりも、冒険小説のそれ、といった風情が漂う。彼女は、子供の産めない体にされたことで、どうしようもなく許せない怒りを抱えることになる。それが彼女の、組織への復讐という動機の一番の理由。彼女視点で徹底させていれば、さぞや迫力のある(「燃える男」のような)冒険小説になっていたのではないかと想像されて、それが惜しまれる。

しかしながら、3人に分散されたことで生まれる面白さもあるので、それがダメだと言うわけではない。殊に、物語の中盤でシフェールが悪人である正体を現し、まさかの大銃撃戦の果てに、アンナに殺されてしまうところ。二つの話しが一つに結びつくだけではなくて、それを追って来た二人の人間も結びつくのだが、こんな形で、これほど直接的にとは思いもよらなかった。アンナ視点だけでは、この面白さは当然描けるものではない。視点が分散されたことで得られるものであり、グランジェとしては、そっちの衝撃を取りたいのだろう。基本的にミステリ作家、ということなのだが、この筆力を、冒険小説方面にも生かしてもらえればなあ、というささやかな希望を持ってしまったのである。絶対、書けると思うんだ。

最終的に、主役が3人とも死亡というのも衝撃的な結末。シフェールの悲惨な死にざま。敵の首領には引導を渡しながらも、命を落としてしまうアンナ。ポールに至っては、まるで真相に近づかないまま。悪人が世にはびこることになる、嫌なラストシーンを想像しながら読んで行くと、その先には、まさかの胸のすくような結末が。救いようのない物語が、悲しみに染まりながらも、一気に晴れて行くような、そんな痛快さがある。娯楽小説として救われる瞬間だ。このラストの鮮やかな転換もうまい。非常に読み応えがあって、愉しんで読めた。こういう読書はしあわせですね。

それにしても、もう10年前に出た本なのか、ということに驚いた。とてもそんな前のことには思えない。せいぜい、4、5年前な感じなのだが…。そして、これ以降、日本ではグランジェの著作は翻訳されていない。なんとも残念は話しだが、それほど売れなかったのかなあ。それとも版権料が高いのだろうか。「狼の帝国」の訳者あとがきによれば、「石の公会議」「黒い道」という2作が紹介されている。読みたいなあ。

「狼の帝国」は、映画化もされている(「エンパイア・オブ・ザ・ウルフ」のタイトルで日本でも公開された)が、このままだと成立しないだろう。グランジェ自身が脚本に参加しているらしいが、かなりの変更がなされているのではないかと想像される。「クリムゾン・リバー」もだいぶ簡略化されていたし。

因みに「石の公会議」も映画化されており、「ストーン・カウンシル」のタイトルで、なんと日本でも劇場公開されている。DVDも発売済み。モニカ・ベルッチカトリーヌ・ドヌーヴ出演ながらも、評判は最悪なようだが。

ショートカットのモニカ、なかなかいい感じなのにね。

「黒い道」は三部作の第一部のようで、その三作目にあたる「Miserere」が「クリムゾン・プロジェクト」のタイトルでDVD発売済み。こちらは日本劇場未公開。ジェラール・ドパルデュー主演。

デビュー作「コウノトリの道」はテレビ化されている。日本では「未体験ゾーンの映画たち2015」で上映されているとか。

コウノトリの道  心臓を運ぶ鳥(2枚組) [DVD]

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どの映画も予告編を見る限りでは、普通に面白そうだけどな…。