眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

チョコレートパンが食べたいと思った時には…

食うや食わずの困窮した生活をしているわけではないが、決して裕福というわけでもない。そんな日々を送っている。毎日の暮らしの中、コンビニや、あるいはパン屋に立ち寄るとき、チョコレートパンへの誘惑に震えることがある。200円もしないようなものであるから、買えないことはない。それくらいのお金は持っている。だが…。いつも思うのだが、食べ終わったあとに残る寂寥感が、なんとも辛いのである。「ああ、一瞬の欲望に負けて、カロリーのバカ高いものを食べてしまった…うまいけど」ということを何遍も繰り返してきた。罪悪感に苛まれる。そこにのしかかるのが、こんな罪深いことにお金を使ってしまった…という後悔である。それがたかだか100円程度であっても。

せめてお金を無駄にした、という苦い気持ちくらいは切り捨てたいと思い、最近は、まず食パンを買うことにした。あまり高い値段の食パンを買うつもりはない。駄菓子を買うのと感覚に差はない。それなら100円しない食パンなんてスーパーに行けば、常時置いてある。そして、明治やロッテなどの板チョコを買う。これは100円しない時を狙って買っておく。合計で200円以下だ。

こちらは関西なので6枚切りが主流である。板チョコは、3段×5列なので15個と考える。まずパンを焼く。もちろん、裏表両方だ。こんな変な書き方をするのは、うちにはオーブントースターがなく、ガスコンロのグリルで焼くのだが、古いものなので(というか安いものだからか)片面づつしか焼けないからだ。続いて、チョコを焼き上がったパンに挟んで二つ折りにする。板チョコは、1列3個を使用。きちんと1個づつに分け、少し間をあけて置くのがよろしい。贅沢にいけば、ぎちぎちに4個置くことも出来るが、どうせとろけて3個も4個もあまり関係なくなる。ならば3個で充分。もっとせこく立ち回りたいのなら、2個を横に並べる、というのもあり。これでも充分である。そして、しっかり折る。チョコが溶けるまでにさほど時間はかからないが、しばし、置く。わたしは、ぎゅっと押しつぶして、ぺたんこにして食べるのが好み。

そうして食べるパンは、声を大にして言うが、後に後悔が残るようなものではないと断言する。焼きたてのパンはうまく、チョコレートは甘い。熱で溶けて、うっかりすると垂れてしまうこともあり、そんなとき「悪くない!決して悪くない!」と心が叫ぶのである。要は、適度に噛み応えがあり、適度に甘いものが口に出来ればよいのだ。猛烈に甘いものである必要はなく、高価なものである必要もないのだ。それで心は満足するのである。何よりも、200円割ることの6枚分と考えれば、1枚33.3円!コンビニやパン屋で、やたらカロリーが高く、値段もするチョコレートパンを買う必要は無くなるのだ。33.3円なら、自分を責めることもない!

まして、値段はそのままでも分量が減ったりしている加工品業界にあっては、お気に入りだったファミリーマートの「チョコ好きのためのチョコクロワッサン」が、どうみても小さくなっているのを店頭で見るにつけ、家計の自己防衛と言うことも含めて、自宅で作るチョコレートパンの重要度は、わたしの中で存在する意味を大きくしている。アホらしいって?いっぺんやってみて。あ、こういうのもありだな、と思うから。