眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー 感想

監督/ギャレス・エドワーズ

スター・ウォーズ」のスピンオフ第1弾。「A LONG TIME AGO〜」から始まるので、その次はジョン・ウィリアムスのテーマ曲が流れるんだな、と思い込んでしまった。が、流れない。その時点で、ああこれはいつものスター・ウォーズではないんだな、と気を引き締め直す。「フォースの覚醒」は、エピソード4から6のテイストを大切にして娯楽映画としての面白さを再起動させようとしているように思えた。今回は、絶対的なハッピーエンドにはならないであろうことが、多くの観客に想像されてしまうところから始まっていることから、嫌でもエピソード1から3の重苦しさと似たようなものがベースにある。

母を殺され、父を奪われ、さらにそのあとに自分を育ててくれた者にも捨てられた、という過去を持つ主人公ジンを、フェリシティ・ジョーンズが演じている。彼女はイギリス出身である。そして彼女と行動を共にするようになる他のキャラクターを始め、父親、敵とかなり国際色豊か。ディエゴ・ルナ(メキシコ)、ドニー・イェン(香港)、チアン・ウェン(中国)、リズ・アーメッド(イギリス)、マッツ・ミケルセン(デンマーク)、ベン・メンデルソーン(オーストラリア)…といった具合。かなり意図的に、国際的なキャスティングをしたと思われる。人型でない人々もいる世界なのだからして、いろんな国籍の人たちがいて、演じるというのは理にかなっている。特に主人公たちは、一つの目的のために、バラバラの境遇を乗り越えるという成長と結束を求められるため、このキャスティングはさらに意味を持つようになる。

重苦しい空気というのは、映画自体のテンポがどちらかと言えばスローペースということもある。前半は、ジンの行動と心理を追うところに焦点が充てられている。決して幸福な人生を歩んできたわけではない人物の物語がサクサク進んでは、逆に違和感を抱きそうな気もして、これくらいの調子でもいいのではないかと思う反面、少々眠気を誘われる感じも無きにしも非ず。彼女を育てたフォレスト・ウィテカーの存在が、物語上の大きな部分を担っている割には主軸の一つにならないのも物足りない理由のひとつかも。脇の話のままで終わってしまっては、回りくどさだけが残り、映画の面白さに直結していない印象となる。しかしながら、ポイントを少しずれているような人物描写のように感じながらも、それぞれの抱えているものの大きさや重さを思うとき、彼らは俄然立ち上がってくるようにも思えるのである。

銀河の平和を信じて行動しているはずなのに、汚れ仕事を引き受けるはめになって常に心を痛めていた者。自分の行いを悔い、正しいことをするために組織を裏切る者。信じているものを破壊され否定されても、その見えないものを信じて戦う者。そして愛想をつかしながらも彼に付き添う者。悪辣な組織に従順なふりしながら一矢報いる時をじっと待っていた者。「スター・ウォーズ」という世界において、これほど重苦しい心理状態を抱えた人々がかつていただろうか。まあ、いたと言えばいたかもしれないが…。だが、過去作になくて、この作品にあるのは、負け犬たちの思いという一点である。選ばれた者ではない、歴史の主人公ではない、その他大勢の有象無象な人々…というところであり、そんな彼らが「俺にも出来ることがあるかもしれない…」と思うところにこそ、娯楽映画としての醍醐味と、観客に隣り合わせる親密さが生まれてくる。金でも名誉でもなく、己の誇りのために戦う者たち。もしもわたしにタイトルをつける権限があるのなら「ローグ・ワン/負け犬たちの挽歌」としたい。そんな映画なのであった。

だからこそ、彼らが命を賭して戦いに挑むクライマックスには、もはや涙は禁じえず。同時にそこには娯楽戦争映画としての圧倒的な面白さもあり、それらが見事にからみながらノンストップで展開する様には、ハラハラさせられてしまう。「スター・ウォーズ」映画であるという先入観ゆえに、絶対的ハッピーエンドではなくとも、ある程度はまあそんな雰囲気で終幕を迎えると想像していた能天気な気持ちをこなごなに打ち砕く。

最後の最後まで姑息で卑怯なベン・メンデルソーンが、今際の際に、空に浮かぶデス・スターをみたときの表情!そのときの彼の気持ちを想像すると、なんともこみあげてくるものがある。後悔とも怒りとも絶望とも言えるもの。しかしもしかするとそこに、デス・スターを作り上げた者としての誇らしさもあったのかもしれないと想像すると、さらに複雑な味わいが増すのである。そして激烈な戦闘とその果ての、全てが崩壊していく結末に、ただただ呆然とするのみである。名もなき者たちの戦いに最敬礼するしかない。

他、印象に残ったこと。南国ビーチ風なロケーションでの戦争アクションというのは、目先が変わっていて新鮮であった。陽光あふれ、海が青い。平和そのもののような場所で血なまぐさい戦い。それからターキン提督。びっくりするのは、ピーター・カッシングをCGで甦らせたこと。似ている俳優にメイクしてCGで加工したのか、あるいはモーション・ピクチャーで誰かが演じているのか、はたまた過去の映像を抜き出してきて口元をCGで手を加えたか。実際のところどうなのか。よーくみれば多少CGぽい感じはあるものの、知らない人ならカッシングがまだ生きていると勘違いしそうなほどに、極めて自然だった。凄いな、ここまで来たのかと思った。懐かしい人たちと言えば、モン・モスマやベイル・オーガナ(ジミー・スミッツがちゃんと演じている)も登場するのだが、ベイルが指示を出す場面で「アンティリーズ」って言うんですよ。てっきりウェッジだと思ったらそうじゃなかった…。エピソード4でダース・ベイダーに首を折られた船長だそうで…。知らないことをつぶやくと恥をかくなあ。あとはやはり、父と子の物語になるのが「スター・ウォーズ」らしいということか。ジンは父と別れて、父のごく親しい人に育てられる。今回のフォレスト・ウィテカーは、オーウェンおじさんとオビワンとが一緒になったような人だったのかも。それに、右腕がどうのこうの、という場面があったように思うのだが、あそこもちょっと、ファンサービスとして入れてみた感じなのかな。考えすぎか、記憶違いか。なんかもうヨレヨレ。見てもすぐ忘れてしまって、もう感想なんてまともに書けないなと思うものの、2年続けて「スター・ウォーズ」が見られてよかったなと、しみじみと感じ入る12月である。