眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

シーラ号の謎 感想

the last of sheila/アメリカ/1973

監督はハーバート・ロス

〈あらすじ〉妻シーラをひき逃げで亡くしたハリウッドの映画プロデューサー、クリントンは、今や落ち目となっている映画関係者6人を船の旅に誘う。旅の途中には、手間のかかったゲームが用意されていたが、その中で思わぬ殺人事件が起きる。

先日の「安楽椅子探偵」の余波…。ミステリ映画が見たくなり、棚を物色して、買ったっきり全く手にしていなかったこれを見つけた。初めて見たが、トリック重視ではなく、論理と推理のゲーム。なので、あっと驚くどんでん返しがあるわけでなく、見た目も非常に地味な印象。しかしこれは、かなりの正統派ミステリ。推理によって犯人を割り出す「安楽椅子探偵」に喜ぶような人は、見て損のない作品だった。

以下、内容に触れています。

意外だったのは、前半部分で主役かと思われたクリントンが殺されてしまうところ。だがそのこと自体は、物語上、あってもおかしくない。意表を突かれるのは演じているのがジェームズ・コバーンであり、彼が映画の前半で退場してしまう、ということだ。1973年(もう44年も前!)当時のコバーンはスター俳優である。それが実にあっさりと殺されてしまうという衝撃。こういう役を、おそらく嬉々として演じたであろうコバーンの稚気が嬉しくなる。何故そう思うかというと、コバーンは来日時に「自作で好きな映画は何か」と聞かれた際「シークレット!シークレット!」「荒野の隠し井戸」、そして「シーラ号の謎」を挙げたらしい。かなりひねくれたセレクトの上、どこまで本気かもわからない。でも、この人を煙に巻く感じに、悪戯好きの子供が喜んでいる感じがしてくる。スターの自分が映画の前半で殺される!ありえない!といって笑っている気がするのだ。

クリントンが旅行者6人にカードを渡す。それぞれ「万引き犯」「前科者」「ホモセクシュアル」「幼児姦者」「密告者」「ひき逃げ犯」とタイプされていて、お互いはその内容を知らない。連日、わざわざ海から上がってクイズが出題され、正解すれば誰が何者かという答えに近づける。点数の高い者は次回作へのオファーが用意されている。「シーラの最期」というタイトルで、亡き妻の人生に焦点を当てた作品だ。という事情もあって、6人はしぶしぶ付き合うことになる。力のある人間に振り回される、落ち目の人間の悲哀がそこはかとない味わい。ミステリとしてはその後の布石ともなるものだが、こういうところはちゃんと描かれていてほしいもの。そのうえ、(今となっては地味に思えるが)かなり豪華なキャストで支えられているのだ。ドラマとしてもていねいに撮られている。

クリントンは今も羽振りがよろしいらしく、初日は安ホテルの一室を、万引き犯の部屋という体でごちゃごちゃと飾り付けている(allcinemaで、舞台装置としてクレジットされているのは、ジョン・ジャーヴィス。プロダクションデザインにはケン・アダム。二人で「探偵スルース」もやっている、と知るとなるほど、万引き犯の室内装飾はジャーヴィスの手になるものだろう、と素直に思える)。翌日は、小島に建てられた修道院で告解室にいる自分を探させる。この荒れた修道院は、こじんまりとしたミステリ映画としては、非常に規模が大きくて不釣り合いな感じすらする。暗く湿った空気の漂う感じが雰囲気満点。という具合に、クリントンによる手の込んだもてなしは、非常にお金がかかっていて、しかも仕事などではなく、単なる遊びなのである。この無意味な贅沢さ。この無駄に豪華な旅。ある意味では頽廃的とも言えるのかも。庶民派としては、まるで他人事なお金の使い方に「贅沢ですなあ」と思うしかない。下世話で俗な金持ちの虚飾の世界の物語。脚本を書いたのはスティーブン・ソンドハイムとアンソニー・ホプキンス。ミステリとして上質なのはゲーム好きだったという二人にとっては、腕の見せ所ではあったろうが、映画業界内幕ものとしての面白さをにじませるのも、彼らの手腕ゆえだろう。勝手知ったる自分の庭、みたいなものである。また、パーキンスが参加していることで、コバーンの退場が「サイコ」の序盤を思い出させたり、ベンジャミンの役柄にはパーキンスの影がちらついてみえる気がしたりして、これもまた味わい深い。

そしてゲームの最中にクリントンが殺されてしまう。先にも書いたけれど、えっ、これでコバーン退場?というショックにびっくり。若い人には全く面白さが伝わらないだろう。ミステリとしては、ここからが本題となる。それぞれのカードを見せ合うことで、隠されている何かが、クリントン殺害の動機となるのでは、と推理していくことになり、その探偵役となるのがトム(演:リチャード・ベンジャミン)。自分がゲイであることまで告白して、事件の真相に迫っていくが、字幕をなんとなく追いかけるだけでは整理しきれなかった。途中何度も一時停止させて、字幕のセリフをかみ砕きながらみることになったのは、単にこちらの頭が鈍いからか。これで終了と思われた物語は、その先でもう一段の展開が待っている。そこでも、やはり一時停止は必須。でも、劇場公開時やテレビ放送時など、一回みただけで事件の様相を理解出来た人はかなり少なかったんじゃないかな。ミステリ好きな双葉十三郎先生ですら、あまり乗って観ていないくらいだから。

終章では、フィリップ(ジェームズ・メイソン)が探偵役となり、事件の真相にたどり着く。何よりも、フィリップの推理の積み重ね方が見どころ。「あのときのあれは、これは、実はこうだったのではないか。何故ならば」という面白さである。推理ゲーム好きにはたまらない決着である。こんなに丁寧に、推理で決着をつける映画、最近無いんじゃないのかな。観客が自力で犯人に辿り着けるかどうかは難しいかもしれないが、伏線はさりげなく随所に張られ、それをきちんと拾って推理を組み上げる。素晴らしい。素晴らしいが当然、派手な見せ場などはなくて、地味に収まるしかないのだが、自分の身が危険だと気付いたフィリップが、逃げ道をさりげなく探す辺りにサスペンスが濃厚に立ち込める。この辺の盛り上げ方も正統派だが、なかなか怖い。ジェームズ・メイソンの芝居がさすがで、不安におびえるところから一転、ラストでみせるしたたかさには、一枚上手の貫禄がある。いずれにしても、じっくりと腰を据えて映画をみる、という醍醐味。物語、演出、演技、どれもががっちりとした見応えを備えている。日本ではあまり有名な作品ではないが、これは忘れてはならないミステリ映画の逸品だろう。

女優3人、ダイアン・キャノン、ラクエル・ウェルチ、ジョーン・ハケット、ともに魅力的。ハケットは早くに亡くなったため、あまり知らなかった。ここでは少々幸薄い感じの危うさが暗い輝きを放っている。

しかし、字幕だけではどうにもいかんともしがたい。細かいニュアンスは伝わり切れていないだろうし、謎解きの過程で知っておきたいことも文字数との兼ね合いで切られているのではないだろうか。何気ないセリフにさりげなく意味があったりするものだから。こういう映画は吹き替えでみたいものである。テレビ放送されているということは、吹き替えが存在するはずだが、録音したテープはおそらく現存していないだろう。渋すぎる映画ゆえ、ビデオ保存している人もいなさそうだ。第一、119分もあるので、30分ほどもカットされていたはずだ。新たに吹き替えを作ってほしいところだが、この映画にそれほどの需要はないだろうからな…。

わたしの持っているDVDは690円で買ったもの。以前は定価がここまで下がっていたのに、今は結構上がってるんですな。見るだけでいいというのならAmazonビデオが300円だが。しかしこれとて、レンタルDVDと比べれば高いかもしれない。まあそこはそれぞれの懐事情次第。