眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「燃えよ!じじぃドラゴン」 1月14日(月)の日記

土曜日にはもう一本、『燃えよ!じじぃドラゴン 龍虎激闘』をシネマート心斎橋で。

冒頭のシルエットによる演武に、『ドラゴン怒りの鉄拳』によく似たテーマ曲!これでもう燃えた!ブルース・リャンとチェン・カンタイが老境に入った世代であるのもなんのその、凄まじいクンフーの技をこれでもか!とみせてくれる大快編。リャン師父の、打点の高すぎる足技に驚愕。『カンフーハッスル』が2004年、あれから6年(2010年製作)、まだまだ衰えぬ体技に素直に感動してしまう。

全く冴えない青年が、会社に命じられて土地回収の取立に向かった村で、ヤクザものに絡まれているところをブルース・リャンに助けられ、なんとかリャンのもとで修業をしたいと望むのだが相手にされず、長い間眠り続けていたリャンとカンタイの師匠の復活と、なんやかやとした騒動に巻き込まれるうちになし崩しのように村の茶館(かつての武館)で共に生活するようになる…というようなもの。復活する師匠を演じているのはテディ・ロビンなので、濃厚な香港コメディ風味がまた楽しいのだが、しみじみとした場面もさすがに見事なもので、味わい深い。弟子たちへ労いの言葉をかけるところも泣けてしまう。しんみりした歌が流れるがあれはロビンの若いころのヒット曲なのだろうか。ずっと医者としてロビンの様子をみてきたシウ・ヤムヤムが、病院からロビンが帰って来る直前に逃げるように姿を消し、きちんとお化粧してきて顔を見せる場面の女心もよかったな。

香港人情コメディとしてきちんと作られているのが素晴らしいが、とはいえ、やはり目玉となり映画の根幹をなすのは、熱い思いであろう。敵対するのは、チャーリー・チャン演じる見るからに悪い人で、実際に邪魔なものを力づくで排除する悪い人なのだが、組織や大会のアピールのためには実際の競技そのものではなく見た目が重要だと考えるビジネスと割り切った人間でもある一方、それに本心では納得していない人物としても描かれている。みかけだけの若造が調子にのっても、まあまあそれくらいにしとけ、と言っていたチャーリーがクライマックスの果たし合いの場に入るときには、お前は黙ってろ、ちゃんと見とけ、と激しく叱責するなど、強いやつと命の取りあいをする本気さを真剣に受けとめようとする姿には熱いものが溢れ出している。あるいは主人公側は、競技大会の申し込みに行った先で、参加料の高さにやめようぜ、となりかけるのだが、リー・ハイタオの鋭い蹴りを見てうずうずし、一気に闘志を燃やすリャンに、やりたいんだろう、じゃ参加しよう、とカンタイが言う場面も熱かった。怪我をおしてでも、強いやつとやりたい、自分の力を証明したい、というどうしようもなくくだらなくも力強くシンプルな感情がグッとくる。拳でけりをつける!暴力的だなんだとは言われるだろうが、これほどシンプルで潔い決着の付け方があるだろうか。

見せ場はチェン・カンタイにもあり。特に路地で待ち伏せをくらい、これもまたクンフー界の重鎮、ロー・マンとの激闘が凄まじい。カンタイは腕を傷めているのだが、ローが盾がわりに出した鉄パイプというか配管ごと、拳を叩きつける。この悲壮感あふれる場面の熱い盛り上がりよ!

で、結局一番残念なことになっているのが、本来の主人公であるウォン・ヤウナムの影が薄過ぎること。また、彼を主人公として機能させるべく話がうまく動いていないぎこちなさ。最終的に、腕っ節ではなく別の部分でライバル関係のMCジンとの和解をさせるところは憎いとも言えるが、多少物足りなさを覚えるところではあった。あとチャーリーさんは戦ってくれないのよ。それが猛烈に残念だったなー。見届け人としては申し分ないけれども、やはり一瞬でも拳を交えていただければ、と。あとヒロイン役のジア・シャオチェンが可愛らしくて良かったな。いきなりの鼻血と口元の傷、というあたりが香港映画の情け容赦のなさで嬉しい。


予告だけでもやっぱり燃えるわ。