眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「放浪息子」第14巻 3月13日(水)の日記

放浪息子』14巻(志村貴子/エンターブレイン)を読む。

シュウの悩みごとはほとんど描かれなくなってしまった。シュウの物語で気になるのは安那との関係についてのみで、初期はともかく10年の連載期間中に群像劇へと変わっていったこともあり、もはや主役という感じも無い。その分、脇のキャラクターたちに注力され、この14巻では誠と、女装をしている海老名さんのドラマには彼らの切実な思いのたけが綴られて色々考えてしまうものがあり、そういう点でも、(今となっては)あまりに恵まれているシュウの話に関心が行かなくなってもしょうがないとは思う。

あと、絵がうまいとか下手とか、わたしは簡単に書き過ぎているのかもしれないが、すごくさっくりした絵というか、細部にほとんど手をかけないというか、ササッと仕上げました感が強くなっていて、手抜きとは思わないけれど、ちょっと雑な風には見えてしまう…が、これはもうタッチが変わったのだと思うしかないのだろう。

放浪息子 14 (ビームコミックス)

放浪息子 14 (ビームコミックス)


今日の『相棒』は脚本・古沢良太、監督は橋本一。橋本監督はもう堂々たるものだね。メイン監督の和泉聖治に比肩するほどの力強さ。時系列をずらして進行する話は今までにもあったが、今回はうまく作られていたのではないかと。昼間と夜とで状況が一変しているので、昼間元気ありあまってる犯人(榊英雄)が次のシーンでは死んでしまっている落差の諸行無常感。同時に、じゃあ今どうなってるんだ?という興味が生まれ、それがタイムリミット的なサスペンスにもきれいに繋がっている。加藤清史郎の両親が祈る姿、誕生日にしてはえらく大げさなお祝いなどの奇妙さ、その裏側には、祈るしかない、そしてどうしても盛大に祝いたい理由があるのだが、それは他人には判らないことである。犯人の行動の一定しない不可解さも、結局よく判らない。どちらも奇妙なこととしか他人の眼には見えない。その奥には当人たちにとっての重要で大切な想いが隠されている。表側だけでは人生は測れない。そんな全く関係のない人生が偶然で結びついて、いたたまれない状況を生んでいく。祈る両親、卓球クラブの臨時コーチ(左時江)、死んだ男を前に涙を流す女、同じ時間、三者三様の人生が交錯することなく、実は交錯している悲しみ。それを救ってくれるのが、まさかの「幽霊であったとは衝撃の結末。妙に大人びた家出少女はそういう人だったのかと。オートロックのマンションにさっと入っていったのはそういう理由だったかと。」今期はちょっとこれ系のネタが多かったな。しかしよい内容だった。面白い。

それにしても榊英雄は容赦のない俳優だ。以前にも『相棒』に出たことがあるのだが、そのときは人をなめきった言動と表情の本気っぷりで、寺脇康文を本当にムッとさせていた。あの寺脇さんの顔は演技でなかったと思う。今回も加藤清史郎くんに対してむき出しの凶暴さ全開フルスロットル状態。あれは怖かったんじゃないかなあ。あと、清史郎の弟、憲史郎も出ていました。幼い頃の清史郎の役で。似てる子連れて来てるなーと思ってたんだよ。

次回はいよいよ最終回、そして劇場版の公開!