眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

『スノーピアサー』をみる

監督はポン・ジュノ。2013年の韓国=アメリカ=フランス映画。

アメリカとフランスも参加しているとはいえ、おそらく制作の母体となっているのは韓国映画なのだろうが、こういう映画を撮ってしまう力強さというのは、言うまでもなく日本映画はとっくに失っているので、なんとも凄いものだなあと感心するしかない。

ディストピア映画としてはごくごく基本的な設定だと思うのだが、それが列車内に置かれているというのが新鮮。階級社会ものは大抵縦に世界が構築されるが、列車内なので、最後尾が最底辺、先頭車両が頂点という形で格差が作られている。物語は、虐げられている最後尾の人々が支配者層の居住区に殴り込む、というもので、車両を通過するのに何かと障害が用意されており、それを打ち破って次に進む様子に『死亡遊戯』を思い出した。が、GAME OF DEATHということでは、それほど外れていない。神の視点からすれば、人の営みなど所詮ゲームでしかない。そしてこの映画の中の神は、永久機関のエンジン(とそれを作ったウィルフォード)である、ということが打ち出されると、突破の過程が、ゲームの一面をクリアする感覚に近しいものであるのは当然。エンジンとウィルフォードが讃えられる車内の学校など、バイブルベルトの敬虔過ぎるキリスト教徒のように、狂気めいたものとして描かれているのもキツイ冗談だ。

階級社会SFのどうしたって避けられない鈍重さを、アクションとねじれた笑いとで娯楽映画寄りにしているバランスも巧み。かなりハードな描写のあとに、寿司の場面が続いたりするのは、ちょっと間の抜けた笑いすら生んでいる。が、後半になると、登場人物に対しての情け容赦のない扱いもすごくなり、最終的な結末のカタストロフの絶望感も、娯楽映画のカタルシスからは遠く離れたところに着地させられた感じがあり、その先の未来には希望がみえるけれど、その道はおそらく相当困難なものになるだろう、とも想像出来る。すべてを達観したような視点で作られている。人生とはそんな簡単なものではない、悪いことの先にはもっと悪いことが待っている、というような映画。皮肉というには絶望の度合いが高い。監督は悲観論者なのだと思った。

クリス・エヴァンスジョン・ハートティルダ・スウィントンジェイミー・ベルオクタヴィア・スペンサーなど、アメリカ、イギリスの有名俳優が好演する中に、堂々とソン・ガンホを投入しているのもいい度胸。さすがの貫録で、図太さが光る。