眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

『ルパン三世 カリオストロの城』をみる

監督は宮崎駿。1979年の作品。

ブルーレイが発売されるのに合わせた前宣伝の意味合いが強いものと思ってはいても、映画館でみられるとなると、やっぱり心が浮き立つもの。改めてスクリーンでみて思わされたのは、映画であるなあ、という当たり前のことであったと。

特に、クラリスが幽閉されている塔に、ルパンが忍びこむために城の屋根に登っていく場面。城の壁を緑色の小さなものがもそもそと動いているカットから始まるのですが、物凄く引いた絵。もそもそしているのがルパンなわけだが、その次の、引きから寄りへの極端さが凄い上、続いて屋根を登るルパンを上から見下ろしたカットでは、下はほとんど垂直。上を仰ぎ見たときの屋根の尖頭はちょっとおかしいくらいに歪んで見える。たぶんですけど、これは本当はルパンの主観でみたときの見え方だと思うんですよ。視界、視覚のギリギリのところの、這いつくばっている視点からの極端な歪み。でも、そのなかにルパンは客観で描かれている感じ。リアリズムではたぶん生じないデフォルメ、ということなんでしょうけれども、そうすることによって描き出される、城を登っているという目もくらむような高所感、不安定さでおぼつかない体の動きからくる恐怖感が、より身近に感じられるものになっていました。単純にスクリーンが大きくなると、映っているものも大きくなるし、奥行きも深くなるわけですが、それだけではあれだけのスケール感は出ないだろうと。アニメーション表現における取捨選択というか、それも映画館で見る、ということを考慮したうえでの画面設計になっており、そういうことを考えて映画ってのは作るべきなのだなあ(当たり前なんだけど)、としみじみ感じ入った次第です。それに、表情も思っている以上に描きこまれているんですよ。それが良く見えるのもよかったし、音も大きくクリアに聞こえることになり(リマスターにあたり調整されているのでしょうが)、台詞の微妙なニュアンスも聞き取れるのも良かった。どこが、と言われると困るけど。絵の芝居と声優による芝居とが、きちんと噛み合っていることの凄さとでも言いましょうかね。効果音や音楽も、隣近所を気にしてボリュームを最大限まであげてみることが叶わないテレビとは、印象が変わりますな。何度もみているものを映画館でみると、その辺の違いが明瞭になりますね。あと単純に「炎のたからもの」が流れ出すオープニングを、大きな画面と音響でみる、それだけで、ぐっときてしまいましたよ。こういう形で再見出来て、とても良かった。