眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

ワイルド・レンジ 最後の銃撃(2003)

監督はケヴィン・コスナーBSプレミアムで。

DVDを持っているのに、みないまま…。結局テレビでみてしまう。
牧草地がまず大きく捉えられていて、とにかくそれが美しい。さすがに「ダンス・ウィズ・ウルヴス」のような映画を作っただけのことはある。草や葉の緑、咲き乱れる花々、これらが風にそよそよとゆれる様子など、第二班の仕事かもしれないけれど、そういうカットを選ぶ以上、監督であるコスナーの趣味でもあるんだろう。その中に犬がちょこんと座っているショットの愛らしさとか。そして空模様の変転が、ドラマに呼応するように描かれていて、晴れ間の青空から、怪しげな曇天、禍々しさと同時に神々しさまで感じさせる。撮影は誰かな、と思ったらジェームズ・ミューローだった。「吐きだめの悪魔」の監督がこんな美しい映画を…と思うと感慨深い。

美しい自然の風景の中、映画の冒頭から雨が降り、劇中も大粒の雨が牧草地も、町をも濡らす。雨はじっくりと降り続き、町の通りに川が出来たような流れを作る。ふらりとこの土地に現れた男たちと、たまに降る大雨が重なるように、汚いものを流す、というのがよい。湿気のある土地、ぬかるんだ地面、という町の様子がちゃんとしているのもよい。教会と医者の家が、町から少し離れた丘の上にあるという描写もよかった。それを描くために引いたショットが入り、町の全体像がなんとなくみえる。距離感が判り易くて、これは殊にクライマックスの決闘の場面で、生かされているように思った。

10年ほど一緒に行動しながら、話したくないことは話さない、それをお互い尊重し合ってきた、ロバート・デュバルケヴィン・コスナーのコンビが最高によい。だから、初めて知る話があって驚いたりもするのだが、それを含めて、そこには相手への信頼と敬意がある。上下関係の中にもそれがある。男女の中にもある。他人の人生へ、どれくらいまで踏み込むか、という距離の取り方は、如何にも現代風であると思った。でも何があっても、それを守る、信じる、ということは出来そうでなかなか出来ることではない。と思えば、やはり西部劇という形でしかもはや描けないことなのかもしれないと思ったりもする。コスナーとアネット・ベニングのやりとりなど、あまりにもピュアすぎて、一種のファンタジーになりかけているけれど、それが成立するのも西部劇ゆえ、という気もする。

芝居をブツ切りにせず、俳優たちを生かし、風景の美しさは残して、丁寧に語るという手法で作られているので、大変ゆったりしたペースで展開する。映っているもの全てを慈しむようである。仲間のモーズとバトンがじゃれあう様子、馬が走る姿、夕陽にきらめく草原、綿毛が金色に輝きながら飛んでいる何気ない風景…。何もおこらない、なんということもない会話をしているだけで時が過ぎてゆくような、そんな映画なので、ともすれば冗長とも退屈とも受け取られよう。しかしながら、それがこの映画の味わい。この作品の魅力である。のんびりと、この空気に浸るようにみたい。クライマックスの戦いにしても、命を捨ててかかる男二人ゆえに、緊張感と共にどこかのんきな様子でもあり、最後に最高の葉巻とチョコレートを味わう余裕がうれしい。ラストも映画の出来を云々するのなら、正直締りが悪い。が、それをスパッと切れなかった作り手の、ドラマとキャラクターへの愛情と思うと、なんだか憎めない。武骨で不器用なケヴィン演じるチャーリーのような、不器用なまとめかたが愛らしく感じる。愛すべき映画であった。今こうしてめぐりあうことが出来たことに感謝したい。

クライマックスの銃撃戦も見応えあり。アクション映画としての愉しさも忘れていない。敵(マイケル・ガンボン)のしぶとさもよかった。ブルーレイが(安く)でたら、是非とも欲しいと思いました。