眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

猿の惑星:新世紀ライジング(2014)

監督はマット・リーヴス
シリアスすぎてびっくりする。単純には面白がれないほど、深刻な話しになっている。猿のリーダーであるシーザーは、なんとか戦争を回避しようとする。人間側でも、ジェイソン・クラークが奔走する。しかし、相手を恐れ、憎む者は、戦争をするために自らの手で理由を作り、さも被害者であるふりをして、戦いを正当化する。結果、泥沼の状態へと突入していく。今の日本で、これを他人事だとして、猿が大暴れする娯楽映画として愉しめるだろうか?始まってしまった戦争は、もう止めることが出来ない。諦めるしかない。その覚悟を決めるラストシーンには、虚しさしか残らない。現実は、こうはなってほしくないものだ。

アンディ・サーキスがビリングのトップになるときがついに来た。ワンカット目のシーザーの目のアップからして、気合の入りようが恐ろしいほどだが、リーダーとしての強さと弱さを見事に見せる熱演。CGの技術の発展で、ちょっと背が低くて足の短いおっさんが、現実にそこで演技をしているようにしか見えない。サーキスの芝居がなければ、ということは今までにもあったけれど、今回も、父の威厳や他人への慈しみなど、俳優としての力量をまざまざと見せつけた感じがある。いよいよ、モーションキャプチャーの演技が正当に評価されるのはではないか。CGは、特に実写の人間と絡むところなど、より自然な表現となっているのも素晴らしく、そこに本当にいるようにしか見えない場面が多々あり、猿が本当に猿に見えるのも凄いと思ったな。ただ、クライマックスのビル上での戦いは、やけにCGぽく感じてしまったのだが、あそこは実景と完全に切り離されているので、アニメーションぽく見えたのだろうか。本物とみまがうような、そんなものが映り込んでいればまた印象が違ったのかもしれない。

生き残っていた人類との戦いという点では「続・猿の惑星」を踏まえている。他にも、地下鉄の線路を歩くところでもイメージがダブったし、クライマックスでゲイリー・オールドマンが、タワーにC4爆薬をセットしたというところも、地下から見上げたビルは、「続〜」のコバルト爆弾に重なっていると思った。

ケリー・ラッセルを久々にみた。いい感じに年を重ねているなあ。どこか70年代の女優風にもみえたのは、リー・レミックにちょっと似ていると思ったせいか。