眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

天才スピヴェット(2013)

THE YOUNG AND PRODIGIOUS T.S. SPIVET

監督はジャン=ピエール・ジュネ

これも、いわゆる「喪の仕事」映画だった。二卵性双生児の弟を失ったことで、心に受けた傷を、如何に癒し乗り越えていくか。大陸横断鉄道に乗って、スミソニアン博物館へ旅立つ、主人公TSの冒険。

少年の冒険が、きちんと描かれている。それは、おそらく身近に親が(あるいは大人が)いれば、危ないからやめなさい、と言うようなことを、さらりとやってのけることである。鉄道の信号機の上まで登って、列車が近づいてくると、飛び降りる。警備の人に追いかけられると、貨車に向かっているコンベアにのって、列車に乗り移る。高速道路でヒッチハイク。開いた水門に飛び移る。そして怪我をする。少年がぎりぎりやれそうで、実際にやりそうな、でも親の目がある限りは絶対に出来なさそうな、日常をほんの少しはみ出す行動。そのさじ加減が絶妙である。

みていると、やけに画面のいろんなところに、星条旗が映っている。明らかに何らかの意図がある。そもそもフランス映画のはずなのに、どうしてアメリカを舞台としたのだろう。大陸横断鉄道でないと無理だったのか。ヨーロッパを横断していく鉄道ではだめだったのだろうか。そのうち、これはアメリカではなくて、大都市とか行きすぎた文明とかという意味を、アメリカに重ねているのか、と思った。文明批評的なテーマがあるのだろうか。と思っていたら、クライマックスで、実にダイレクトな、アメリカ批判が飛び出してきて驚いた。いやそういえば、トラックの運転手のところで少し変な空気になるのだが…。その時点では、ちょっと強めのジョークかと思ったのだが、そうではなかったのだ。憧れとしてのアメリカと、巨大な消費文明であり、何もかもがビジネスであり、制度的には機能不全を起こしているアメリカ。カウボーイは、批判すべきことの、そもそもの始まりでありながらも、抗いがたいエンターテインメントの憧れとして、ジュネの心にあるのではないだろうか。大きな国を列車で横断するという雄大なスケールとロマンも、きっとフランスでは得られないものとしての夢があったに違いない、と思う。夢のアメリカと現実のアメリカ。その差。愛憎相半ばする、そんな視線がある。

3Dは、箱庭感を強く出したものになっていて、それこそ絵本を開いた感覚、飛び出す絵本のような楽しさがあった。手前にある物のペナペナした感じも、わざとなのか偶然なのか、書き割りのように見えて、映画の雰囲気にあっている。美術の色使いの美しさ、こじんまりとしていながら中身の詰まった感じのセット、その可愛らしさ。これらは如何にもジュネの作品っぽいところ。それと、子どもたちが皆素直そうで可愛らしいところも、特筆すべきところ。しかも芯は強そうな感じ。ジュネはそういう顔を集めるのが得意。主役のカイル・キャトレットのキャスティングで、映画の出来栄えは半分くらい左右されているだろう。
旅の途中で、鉄棒に足をひっかけて揺れている女の子が出てくるところ。

テレビ放映時には、心ない編集によってカットされてしまいそうなくらい、一見なんということもない場面。一瞬すれ違うだけのTSと少女。しかし、何か感じあうものを、ふたりは認めるのである。さりげないけれど、それだけに心に残る場面。素晴らしい。
色んな暗喩が、隠されていると思う。二度、三度と、繰り返しみたい映画。いい映画だった。