眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「グリーン・インフェルノ」 感想

〈あらすじ〉大学で、未開地では未だに女性の割礼が行われていることを知り、憤るジャスティン(ロレンツァ・イッツォ)。彼女のその反応をみた環境活動家のグループが接触。カリスマ的なリーダー・アレハンドロ(アリエル・レビ)に惹かれ、ジャスティンは、アマゾン奥地で絶滅の危機に瀕しているヤハ族を助ける計画に参加する。だが、アレハンドロは、ジャスティンの父が国連に勤めていることを利用することで計画を完遂させるという、目的のためには手段を選ばない男だった。そのやり方に憤慨するジャスティン。その帰り、彼らを乗せた飛行機が墜落する。

以下、ネタばれ前提での感想を書いています。



ゲテモノ映画全開な予告編の素晴らしさに釣られてみてしまった。が、意外にも、真面目な映画だった。食人シーンはともかく、映画の作り自体は、基本に則った人物設定、破綻なくドラマを語ろうとする姿勢など、丁寧でオーソドックスな娯楽映画。モラルを破壊するような、無茶苦茶な映画を想像していると、根っこの部分は、思いの外、品行方正なので逆の意味で驚いた。作品のテーマにおいても、ネットを使った正義に対する疑問、環境破壊に企業が絡み、それを黙認し受け入れている世界、といった批判がされており、至極真っ当で、ひねりなし。ストレートな主張だ。

だが、イーライ・ロスの映画は、「キャビン・フィーバー」にしても「ホステル」2作にしても、生真面目な作劇だった。前段を丁寧に語り過ぎるためにエンジンがかかるのが遅い、というのは、共通する彼の作風だろう。しかも、残虐非道なものを期待すると、意外とモラリストなので、弾けきらないという印象になる。イーライ自身は、ホラー映画というジャンルが好きなのだろうが、もっと普通のサスペンス映画とか、アクション映画を撮った方が、映画監督して成功するのではないかと思う。

肝心の残酷描写に関しては、テレビで「ウォーキング・デッド」をみているような人には、おそらく耐えられるレベル。最初に食われてしまう太った兄ちゃんの解体シーンは丁寧にみせてくれる。目玉をえぐり出し、舌を切り、腕と足とぶった切る。描写として派手なのは、ここだけ、と言ってもよい。面白いのは、そのあとの調理の様子。牛の肉であろうと、豚の肉であろうと、人間の肉であろうと、食人族の皆さまには全く違いがないのであろう。淡々と作業しているさまが、「ああ、こういう人の営みも、当然あるだろうな」と思わせる。彼らには、ごくありふれた日常でしかないのだ。人が殺されて喰われているのに、彼らのふるまいをみていると、残酷さや無残さは感じられず、どこかほのぼのとした気さえしてくる。他の残酷描写としては、自ら喉元を切って死ぬ女性、凶悪な蟻による拷問で顔が膨れ上がる男、マリファナでハイになった食人の人々によって生きながら喰われてしまう男、といった按配。生きながら喰われるというのは、古いけれど「死霊のえじき」のローズ大佐がやられるところを思い出した。あとは飛行機墜落のところでも、あっさり死んでいく描写があり、そっけないところが生々しく悲しい。

他、印象に残ったのは、ロレンツァ・イッツォが最後、白塗りになるけれど、あそこで体を少し前かがみにしているところ。恥ずかしがっているから、ああいう姿勢になっているのかな。ジャングルの中で他に誰かがみているわけでなくても、人は恥じらいを持って行動するのかな、と思いながらみていた。皮肉ではなく。

よっぽどホラー耐性がない人には辛いかもしれないが、怖いものみたさで見る分には、適度な内容と出来栄えではなかろうか。

監督 イーライ・ロス/THE GREEN INFERNO/2013/なんばパークスシネマにて