眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「バトルフロント」 感想

〈あらすじ〉インターポールの潜入捜査官を辞し、亡き妻があこがれた南部の土地で、一人娘と暮しているフィル(ジェイソン・ステイサム)。ある日、娘がいじめっ子をのしたことで、その両親(特に母親)が激昂。母が、なんとかしてくれと泣きついたのは、地元で麻薬密売に手を染めている兄だった…。

子供の喧嘩が、やがて麻薬と復讐に彩られた闘いへとヒートアップし、平和な田舎町が、地獄に変わる。といったところで、物語のスケール感は小さなものである。が、スケール云々と映画の面白さは、全くイコールではない。どんなにお金がかかっていようが、ハードな物語であろうが、退屈なアクション映画というのは、この世にごまんとあるわけだが、まさにその対極にあるのが、この作品である。こじんまりとした舞台設定でありながら、きっちりと面白いアクション映画だった。

南部の田舎町での小競り合い(だが命がけ)というのは、特に70年代のアクション映画に馴染みのある世代には非常に受け入れやすい。舞台となっている土地の風情からして、「白熱」や「ゲイター」を思い出すのも自然。しかし、登場人物には捨てキャラがおらず、全員に血が通っている。脚本はシルベスター・スタローンだが、スタローンだからこそなのかもしれない、丁寧な人物描写が作品に厚みを与えているのは間違いない。

いじめっ子の母親を演じているのはケイト・ボスワース。ヤク中で粗暴な女性だが、フィルが詫びを入れると、それを受け入れる部分もある。父親は、この母親ほど強気の人物ではないところも、ある意味ではまとも。清掃作業員として真っ当に暮している。最初はいまどきのモンスターペアレントなのだが、その実、決してそれだけの人たちではない、というところに救いがあり、そこがスタローン的な、どん底の人間に対するまなざしとして一貫した部分でもある。母親に禁断症状が出ているときの、いじめっ子の表情をとらえたカットなど、きれいごとではすまない現実の暗さを逃げずに描いており、嫌な人たち、という先入観が次第に覆されていくのも、ドラマに深みを生んでいた。

兄を演じるのは、ジェームズ・フランコで、この人も小悪党でしかない。自分の商売を軌道に乗せる程度のことでしかなかったはずが、おおごとになってしまい、逆に戸惑うという、演じ甲斐のある役。最初に出て来たときは、高校生相手に大物ぶっているが、最後はなんだか哀れに思えるほどの小物感に収まってしまうのが可哀相なくらい。しかしその小ずるさは見事。彼がいいように利用する元売春婦にウィノナ・ライダーが扮しており、これもまたいい感じのうら寂しさを漂わせて素晴らしい。これらの主要人物だけでなく、ステイサムに絡んでくるチンピラたちもしぶとさがあり、やられ役ながらもちゃんと見せ場があるあたりも嬉しい。

ロケーションも素晴らしい。特に、木立の緑が風にゆれ、光を受けた綿毛がふわふわと漂っている中を、ステイサムと娘が馬に乗って進む場面などは、大変美しい。水辺や森の風景がきちんとはさまれているのは、映画の客観性として重要。こういうことをするかしないかで、映画の出来栄えは数段変わる。また、人々の生活、日常も描いているところもポイント高し。悪役ですら愛おしく思えてくるのは、丁寧な描写がなされているからこそであろう。

アクションシーンは、カメラが対象に寄り過ぎて、何をしているのかわかりずらい場面が多いのだが、テレビの画面で見る分にはなんとか把握出来るかな、という感じ。劇場の、前の方の席だとよく判らないだろうが…。しかしまあ、それも結局、好みの問題かもしれず、今更どういう言う気はなし。個人的には拳を握ってみた、とだけ書いておこう。

あと喜ばしいのは、ステイサムに色恋がからまないこと。娘の学校のカウンセラーで、ラシェル・ルフェーブルが出ているのだが、思ったほど出番なし。父と娘の物語としてまとめられているのもスッキリしていて良かった。

丁寧に紡がれた物語を、演出と撮影その他スタッフが手を抜かず、加えて演技の出来る俳優たちを並べれば、こんなに面白い映画になるのだというお手本のような映画。無駄に豪華な出演者、と言われているが、しかしその演技の厚みは、そのまま映画の完成度に繋がっている。お金をかけるというのは、派手な見せ場にだけ注力されることではないのだな。

監督 ゲイリー・フレダー/HOMEFRONT/アメリカ/2013/