眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

わたし出すわ 感想

脚本・監督 森田芳光/2009/

〈あらすじ〉突然、東京から函館に帰ってきた摩耶(小雪)。高校時代、仲の良かった友人たちの夢を叶えるためのお金を、「わたしが出してあげる」と気前よく提供していく。しかしそれは、運命を大きく左右させるものでもあった…。

何よりもこのタイトル。森田芳光らしい、と言ってしまうのは、あまりにも簡単かもしれないが「の、ようなもの」というタイトルを思いつくような人らしいタイトルということは出来るだろう。

以下、結末にも触れています。

とても面白くみた。一番のポイントは、「どうして摩耶は、友人たちにお金を提供するのか」ということであろうか。それは「お金ではどうにもならないことがある」と知っているからではないか。現に、母親がそうなのだ。お金があるから、高額な医療費のかかる病院に入院出来ているが、だからといって母が意識を取り戻したわけではない。お金の力だけではどうにもならないのである。逆に言えば、摩耶が友人たちに資金提供したのは、「お金でどうにか出来ること」だから、ということなのであろう。高校時代にかけてもらった仲間たちの言葉が、その後の摩耶を支えた。そして今、自分はお金を持っている。お金でなんとかなることなら、使ってもらいたい。摩耶自身は、着飾ることもなく地味な暮らしをしている人間であり、それほど愉しみがあるようにも思えない。友人たちが、自分のお金を使うことで幸福になるのなら、それが摩耶の喜びにもなるはずなのである。それは、映画の冒頭に出てくる言葉で既に語られており、それが映画自体のテーマになっている。いわく、

「できるだけ儲けて 出来るだけ貯めて できるだけ与えなさい」
「富は海の水に似ている それを飲めば飲むほど 喉が乾いてくる」

映画は、この二つの言葉を、そのまま映像化したようなものである。

摩耶の母は寝たきりで、意識もない状態で入院している。きちんとした設備の整っている病院なのだろうが、簡素な病室内と生命維持装置が昔のSF映画のようで、不思議な空間になっている。意思の疎通が出来ない状態で、摩耶はまるで母が話せるかのように語り掛け、しりとりをやる。返事はなく、彼女の一人遊びになってしまう。しりとりとは、言葉遊びである。言葉を次へ繋ぐ。「ん」で終わらないように、ぐるぐると続けることが重要。摩耶の一人遊びのようなしりとりは、それによって母とのつながりを断ち切らないためのものであり、命を繋ぐためのものである。母が続けられなくても、摩耶はそれを認めない。そのために意味のないしりとりを繰り返す。

しりとりはそのまま、友人たちの運命にもつながるイメージである。摩耶のお金の恩恵を受けるのは、マラソンランナーの川上(山中崇)のみ。あとは、妻にお金を使い込まれたり、研究をあきらめたり、もっと悲惨なことになったり…と。決して幸福なことにはならない人たちもいる。そんな彼らの運命は、実はちょっとしたところで繋がりがあり、リレーのように語られていく。摩耶から手渡された「お金」というしりとりを、繋げようとした者と、切ってしまった者の違いはどこにあったのだろう。人生のさまざまな局面で、自分の選択はもちろん、あずかり知らぬところでも繋がり、また切れていることもあるのだな、とも思わせる。そもそも、摩耶が友人にお金をあげようと思ったのは、ゴールドバーが民家のポストに投げ込まれるというニュースからではなかったのか。そして最後に明かされるのは、ゴールドバー投入犯が、友人の一人であるさくら(小池栄子)だったということ。ここにも、しりとりによる美しい円環が現れてくる。そしてお金とは、円である、ということである。

森田映画らしい独特の間の取り方も可笑しみがあってよい。特に傍役を、見た目ですぐ判断できる人にしないところが面白かった。意表を突く人物設定というか。函館という地方都市の、さらに小さな町での話に、国家規模の陰謀めいたものが入ってきたり(仲村トオル)、箱庭協会という得体のしれない団体(ピエール瀧加藤治子)の話があったりと、予想のつかないホラ話のような面白さがあり、これらを飄々と語っていくところのノリの良さが素晴らしい。

函館の街の風景も、ひと気のないがらんとした風景も味わいがあってよく、観光映画としての側面もしっかりしているのがよいところ。ロケーションは、大切な映画の愉しみのひとつだな、と思いますな。

みながら、ロベール・ブレッソンの「ラルジャン」を思い出していたが、森田芳光も意識していたんじゃなかろうか。あと気になるのは、摩耶の部屋の壁にアンドリュー・ワイエスの「クリスティーナの世界」が飾られているところ。遠く離れた家へ、歩くのが大変でも進んでいこうとするクリスティーナに、摩耶は自分を重ねていたのだろうか…。