眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

『キャリー』をみる


監督はキンバリー・ピアーズ。

シシー・スペイセクが、プロム会場の飾り付けをみて「すごくきれい」という場面の切なさ、ウィリアム・カットと踊ると、カメラが二人のまわりをぐるぐる回る場面の奇妙ながらもロマンティックな描写、クイーンに選ばれて壇上にあがった彼女がみせる、とびっきりの幸せそうな笑顔など、オリジナル版の作り手には、いじめられているものへの同情心があり、そんな彼女を一瞬でも幸福にさせてやりたいという想いが込められているようでもあり、だからこそ、クライマックスの凄絶さが際立ち、異様なカタルシスさえあった。今回のリメイク版も、きちんと描かれているものの、主人公に対して、オリジナルほどその心情に寄り添いきれていない感じ、結果少々ドライに思える…。まあ作り手の判断はそういうことだからしょうがないのだが。そのドライさは、キャリーが豚の血を浴びたあと、会場内の人々が本当に笑っている、という絶望感へと繋がっているようで、容赦がないともいえる。オリジナルは、勘違いという要素を加えることで、悲劇性(という名の映画のロマン)を増していたのだが、それがないことでより殺伐とした感じが強くなっていた。同じことをしているようにみえて、やはり今の映画といえようか。いいとかわるいとかの話ではなく。

しかしながら、中学生か高校生か判らないが、斜め後ろにいた女の子二人組は終始、かわいそうかわいそうと言っていたので、彼女たちには、そしておそらくこの映画をみるその他の若い観客にはちゃんと届くのだろう。ならば、おっさん連中が何をいってもあまり意味はないのかもしれない。キンバリー・ピアーズの考え方も的を外れているわけではないのだろうと。

R15指定を回避してPG12にするために、画面を配給会社の判断で暗くしているという話があったが、車の中でのセックスシーン(それも男の背中しかほとんど映ってないのよ)と、車のフロントガラスに突っ込んだ顔の2か所が暗くなっている感じはした。勝手に編集加工されたものをみたくない、と怒る人の気持ちも判るが、気にしなければ気にならない程度。おそらく気付いていない観客も多いだろう。ここが本当にそれにあたる場面なのかどうかは判らないが、映画そのものにそこまで過敏になるような場面はなかったな。まあそれと配給会社のやったことの是非は別問題ですけども。