眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

『映画クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』をみる

監督は高橋渉

久々に、素直に面白い『クレヨンしんちゃん』の映画だったな、と。しんのすけや子供たちがシリアスになるのは、どうにも嫌な気持ちになってしまうんだけども、今回その重荷を背負わされるのは、タイトルロールである、ロボとーちゃんになっているところがよかった。現実にはどうあれ、映画の中でくらい、子供たちには無邪気でいてほしいと思いますよ。しんのすけのシリアスさは、クライマックスでは必要でしょうが、それ以外では特にいらないと思いますね。ロボとーちゃんが豹変するところで、オヤジの権威という恐怖と横暴を、ぐっと不屈の目付きで見上げるという異様に力の入ったショットがあって、それで充分。

今回の作品の主役は、父親である野原ひろし。厳密に言うと、改造されてしまった結果のロボとーちゃん。ロボになってしまったために、しんのすけはともかく、妻のみさえには怪しい人物として夫とは認めてもらえないという悲劇に直面。公園に集まって来る、家に居所のない父親たちの姿と合わせて、現代日本における、父の存在の希薄さが描かれていて、やるせない。特に公園の場面は、いたたまれないような悲惨さがありましたな。でも、豹変後のロボとーちゃんのアジテーションと、煽られるオヤジ連中の意見には全く共感出来ないというか、そりゃそうかもしれないけどそんなやり方はないよ、と思ってしまい、ギャグ映画なのでそこは面白可笑しく大袈裟に作られているけれども、現実の実感とは程遠いんじゃないのかなあ。もちろん、豹変後のロボとーちゃん及びチチユレ同盟は役割は悪役なので、無理で無茶なことを言うのは当たり前なんですけれどもね、もし自分が父親で、子供とこの映画を見ていたら、ちょっと肩身が狭い思いをしているんじゃないかと。そりゃ、怒鳴って済めば楽ですけども、小学低学年の子供の親(30代半ばくらい?)でこの意見に納得する人はそれほどいないでしょう。いや、いないと思いたい。

クライマックスには、あの人があんな形で登場して、どうしてこの人の起用だったのかという理由も判って、ああなるほどと思いつつ、バカバカしくて最高。バカのさらに上のバカで戦うのも素晴らしい。そのあとのドラマをしめくくるエピローグも、きちんと見せ場に仕立てられ、これがもう素晴らしい終わり方。ドラマの締め方としては、王道でありつつも、ここまできちんとやられると、美しいと言っていい。己のアイデンティティに惑い、しかし己のアイデンティティのために戦うロボの姿!正しいロボ映画でありました。

今回はくだらないギャグが冴えた感じがあり、結構クスクス笑わせてもらってうれしい。上映も終了間際だからか、比較的遅い時間の上映だったからか、子供の観客が少なく、しかもあまり笑わないし、いや子供に限らず、大人の観客もほとんど声を出して笑わないので、ちょっとこらえて映画をみることになってしまったのが残念。子供たちで満員の映画館なら爆笑なのかもしれないけれど、大変さびしいことになっていました。思うんだけど、最近の若い観客って本当に笑わないよね?聞こえる笑い声は年配層ばかりで。

段々原照代という警察官の、色気のないデザイン(ちょっと小さくて丸い)もいいのですが、演じる武井咲の声がまたキュート。前々から武井咲の声の可愛らしさには注目していたので、これはうれしかったです。