眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「アルカトラズ幻想」を読む

島田荘司・著(文藝春秋)

自由に、好き勝手に書いているようにみえる。小説の構成としてはあまりにも歪であり、バランスを欠き過ぎているのは明白。一章と二章が、実は小説の頭の部分に過ぎず、しかも後半の話とほとんど絡んでこないという凄さ。こういうことを、自由に書くというのだろう。初めて読む島田荘司がこれだった人は残念だけれども、少なくとも何作も読んでいる人たちは、きっと書いていて愉しかったのだろう、と推察して、ミステリ界の鉄人に付き合うというのも一興ではなかろうか。

以下、誰かに気兼ねする必要もないけれど、一応内容に触れていると書いて、何行かあけます。








一章は、アメリカが第二次大戦に参戦するのかどうか、といった時代のワシントンで起きた猟奇的な女性殺害事件。これはどんな展開になるかとワクワクするのだが、実は殺人事件ではなく、死体損壊事件であり、犯人は殺人犯ではない…という、物凄く外した話になっているのがびっくり。二章は、怪しいと目された人物の書いた論文が大半を占めているのだが、これ自体は島田荘司が常々、重力について疑問に思っていることであるらしく、恐竜絶滅の新たな理由として独自論を展開、とても面白く、この調子で事件が展開し解決されればさぞや…と思うわけだが、犯人はあっさりと追い詰められる。しかも推理などは全くなく、論文が怪しい、というだけ。これは一体…。ちょうどまんなかあたりから始まる三章は、アルカトラズ刑務所からの脱獄ものになるのだが、これは実在の囚人である、フランク・モリスたちの脱獄計画をなぞったものになっている。当然その映画化である「アルカトラズからの脱出」の再現にもなっている。ディテールはどうなのか知らないが、映画でみたなあ、と思うことは間違いない。というわけで、きちんとまとまった物語は、四章のみといっても過言ではない。一章、二章は、ミステリとして不完全燃焼、加えて一部は小説ではなく論文、三章は脱獄もので、そこにミステリ的なひねりなし、しかも実話ベースの再現小説風…。三章は四章のための段取りとして必要だとしても、前半の一、二章はほとんど意味がない。どうでもいいようなところに力注ぎ過ぎ。間違った熱意によって、全体の構造が狂うのもおかまいなし…。だが、真に恐ろしいのは、こんなでたらめな構成になっているにも関わらず、何処へ行くのやらわからぬ物語、迷宮へと導かれる男の運命の物語として、きちんと筋が通っていることと、娯楽読み物として飽きさせず、面白い、ということなのである。純粋なミステリ小説としては完全に破綻しているのは明らかながらも、島田荘司が、大法螺を吹くことの出来るしかもそれを波乱万丈の物語として読ませることの出来る異能の作家であることを、改めて実感させてくれるのだ。そしてその法螺吹きという行為は、ロマンティストであることと同義であり、スケールの大きな「物語小説」の面白さ愉しさを描こうとする姿勢が変わらずにあるということなんである。時代を経たラストでは、一人の人間ではどうにもならない、戦争という時代を背景にして、偶然、悲劇、運命に翻弄された男の人生がさらりと語られる。が、前向きな視線があるために、物語は開けた結末となる。未来を信じる力があることで、さわやかといってもいい決着を迎えることになる。いや、本当、こんなの島田荘司にしか書けないですよ。