眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

悪魔のいけにえ(1974)

THE TEXAS CHAIN SAW MASSACRE
監督はトビー・フーパー
ブルーレイで。

先日8月5日に、主演のマリリン・バーンズがテキサスの自宅で亡くなったという報道があった。64歳。どうぞ安らかに。追悼の意味で、久しぶりにみた。

フランクリン(ポール・A・パーティン)が周囲をイラつかせるさまが妙に生々しくい。車椅子に乗っているので、介助がなければろくに動けない。そのことへの不満と卑屈。自分勝手な言動と行動、そしてねじれた性格。皆が扱いに困り、しかし正面から非難もし難いので、嫌みを言い、小馬鹿にする。別の見方をすれば繊細な人間なので、人一倍、危機や恐怖に敏感なのだが、それがうまく伝わり切らず、グループ一行は地獄へ一直線。彼がもっとグループ内で尊重されていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない…。などと思ってしまうほど、フランクリンの不憫さが悲しい。誰も同情してくれないよね。

マリリン・バーンズが演じるのはフランクリンの妹のサリー。双葉十三郎先生は、かつて「悪魔のいけにえ」の評で、彼女を中くらいの美人と書いていて、まさにそんな感じなのが笑ってしまったが、見返すと、いやまあそうだけど、やっぱり美人ですよね、と思う。幸薄い感じが良いんですよ。で、フランクリン以外の若者たちの中でも、一番影が薄いのがサリーで、それがああいう運命をたどることになるとは思いもよらぬところが恐ろしく、運という、全くあてにならないものが世界を支配していることをつくづく感じますな。

どこをとっても恐ろしい映画なのは変わりないが、終盤の屋敷の場面が本当にどうしようもない恐怖があって凄まじい。人間の顔の皮で作られたマスクがランプシェードとして使われていて、その表情が静かに眠っているよう。夢見るようなデスマスクのその下で、椅子に縛り付けられたサリーの眼前に迫る地獄模様との対比。誰も助けてくれない絶望感極まれり、な凄い場面。映画の頭で、太陽のプロミネンスの異様な接写が映し出され、映画は太陽と月を交互に、狂気を導くものであるかのように繰り返し映す。そして、地獄の館で、マリリンの眼球に異常に近づいたショットが連続する。他にも、車のヘッドライトが画面いっぱいに広がるカットもある。クライマックスの眼球のアップへの布石として意識的にそれらのカットが重ねられているのだろう。しかもそれらは、世界を照らし出すものであり、ここで白日のもとに照らし出すものは、今までは隠されていた恐怖の真の姿。極限の眼のアップは、縛り付けられ、身動きが取れない状態で、強制的に、恐怖の世界を見せつけられる観客そのもの…。

ブルーレイでみたのだが、DVDよりもきれいではある。DVDの少しぼやけた感じを取るか、ブルーレイのざらつきを取るか。粗い映像の方が恐怖感が増す、というのも事実だと思うので、これは好みの問題かねえ。どっちにしろ、元のフィルムがよくないだろうからこれ以上はどうにもならないだろうと思っていたのだが、9月にアメリカで発売される4Kリマスター盤、どうもこれがきれいなようにみえる。

日本盤は出るかなあ。(追記:2015.11.4の発売が決定)