眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

ゴジラ東宝チャンピオンまつりパーフェクション(KADOKAWA・電撃ホビーマガジン編集部)


宣伝素材はみていて本当に愉しい。特にポスターとロビーカードには、どれだけ胸を踊らせたか。懐かしく甘い記憶と共にそれはある。それと割引券。上映が近づくと、近所の映画館の人が、学校の前で配っていたものである。我も我もと、それに群がっていたもので。割引券を眺めているだけで、本当にそれだけで、期待と興奮でワクワクしていたんですよ。それらの宣材が、年代順に紹介されているだけで、手が止まってしまう。ただ、もっと大きな写真で載せてくれたらなあというのは、無いものねだりというものであろうか。またロビーカードは8枚1組だったらしいのだが、誌面の都合で一部しか紹介されていないものがあり、これはとても残念である。
インタビューも読みごたえがあった。佐原健二は割合と記事を目にする機会は多いけれど、高橋厚子、麻里圭子、石川博、川瀬裕之、大門正明、藍とも子といった方々は、なかなか珍しい。特に「決戦!南海の大怪獣」の高橋厚子はかなりレアなのでは。「ゴジラガイガン」の石川博は、「怪獣たちを想像しながら演技をしないといけないので、大変ではなかったですか?」という問いに、「お芝居の訓練の中で、想像力を膨らませて演技をするというのはよくやっていたことですので、それは大丈夫でした。普通のドラマでも、目の前に誰もいないところでその人がいるかのような芝居をすることがありましたから。それがゴジラガイガンなどの怪獣に代わっただけですよ(笑)」と答えていて、実に溜飲が下がる。みたことのないものを相手にどう演じればいいんだ、という発言は、凡庸な俳優がよく口にする言葉だ。怪獣映画や特撮映画を実はバカにし、ついでに自分の無能さ想像力のなさまでさらけ出す愚かさを、愚かと思わずに話している俳優への痛烈なダメ出しのようだ。勿論、石川さんはそんなふうには思っておられないだろうが。

スタッフへのインタビューも充実。坂野義光中野昭慶、郄山由紀子、山浦弘靖、4人へのインタビューは頁数の差はあれども、どれも興味深い話がいろいろ。他のスタッフインタビューには、記事の採録もあるが、新たに取材したらしいところも多いので、これも読みごたえあり。興味のない人からすれば、そんなことを知ったところで何が面白いのか…と思うであろう、細かい話しを読んでいるときの至福。たまりませんな。

面白いのは、同じ話しでも人によって受け止め方が違っていること。「ゴジラ対ヘドラ」は撮影中に予算が尽きてしまった、という噂があるらしく、それについて、坂野、中野、川北の三氏が答えているのだが、それぞれ微妙にニュアンスが違う。坂野監督は「そういう話しは聞いていない。ただ、本多監督にラッシュをみてもらい、田中プロデューサーに“手間と予算のかかる特撮合成のロングショットを撮り足すように”と進言してもらったのは助かった」と発言。中野監督は、「本社から製作中止を言い渡されて、本多さんにみてもらって判断を仰いだという話があるのだが」という問いに、「友幸さんが坂野さんに、“映画を面白くする知恵を本多さんに相談してみろ”と言って、ラッシュをみてもらった。予算なんて最初からないんだから、尽きようがない」と。そして川北監督は「途中で予算が底をついて撮影を続けるか、やめるかって状況で」と発言している。これは先の二人とは、全く違いますね。「本多監督にレクチャーを受け、本多監督のお答え次第で追加予算もあり得たけど「いいんじゃないの」といった感じで変わらなかった」と。

坂野監督が、本多監督に進言してもらって助かった、というのはどういう意味なのだろう。この場合、進言の先は田中友幸プロデューサーに向かっているわけだし、その内容も具体的で、結果予算の話しに直結する。予算以外のことで、田中プロデューサーへの進言で、坂野監督が助かるようなこととは何だったのだろう?撮影上の諸々がやりやすくなった、ということなのだろうか。撮影中止なんてことはなかった。が、進言していただき助かったというのであれば、単純に取れば、追加予算が出た、と思える。中野監督の話では、本多監督へのご意見伺いは、田中プロデューサーから坂野監督への意見だった、ということになっている。それも、映画を面白くするためにどうしたらいいか、ということで聞いてみろ、という話しだったらしい。中野監督の話しでは、予算のことは関係はなかったということになる。現場サイドで一番下だった(三人の中で)川北監督は、過酷な撮影環境で、噂や不満をさも本当のように思ってしまったのだろうか?上の方の判断や、本当の理由が下まではきちんと伝わらないのは、どこにでもよくある話だし。「具体的な助言をもらい進言をしてもらい助かった」と、「いいんじゃないの、という感じで変わらなかった」では、だいぶ、感じが違うと思うのだが…。立場の違いゆえ、そういう差が生まれているだろうか?

ゴジラ対メカゴジラ」でも、中野監督は(沖縄の)ロケハンに行った、と発言しているのだが、川北監督は「中野監督はロケハンに行かず、僕だけが行ってさ」と発言。特技監督の代理みたいに福田純監督と打ち合わせもした、と。これも全く逆の話しになっている。これらの話しの食い違いに目くじらを立てて、どうこう言うつもりはないんですよ。誰の発言が正しいか、というのではなく、話が錯綜する感じが面白いな、と。記憶違いもあるだろうし、何せかれこれ40年も前のことだし、忘れていることもあるだろうし。いずれにせよ共通しているのは、とにかく予算がなかった、ということ。これだ。

未使用シナリオ全文掲載もうれしい読み物。円谷プロが企画したシノプシスゴジラ・レッドムーン・エラブス・ハーフン 怪獣番外地」。金城哲夫がプロットを書き、満田かずほがシノプシスとしてまとめた、という。「ゴジラ対宇宙怪獣 地球攻撃命令」は馬淵薫が、「ゴジラガイガン キングギドラの大逆襲!」は関沢新一が、共に「ゴジラガイガン」のために書いた準備稿。検討用シナリオ「大怪獣沖縄に集合!残波岬の大決斗」は、関沢新一原作、福田純が執筆した「ゴジラ対メカゴジラ」の元になるもの。どれも興味深く面白い。「地球攻撃命令」には、ツール魔神という巨大像が出てくる。ゴジラたちと共にクライマックスで戦うのだが、「夜空をバックにますます巨大になるツールの魔神」と書かれている。石像が巨大化する…。これは想像に過ぎないが、これが後の、意思の力で巨大化するジェット・ジャガーの元ネタなのでは。当然、福田純監督はこれ、読んでるでしょう。福田監督は「残波岬」でも機械怪獣ガルガンが、始動と同時に巨大化する、と書いている。まあ生体兵器ぽくも、ないこともないので、と納得することも出来るし、ジェット・ジャガー同様の理屈のなさも感じてしまう。しかし関沢新一の原作というのが、どこまで描かれたものかは判らないけれど、「ゴジラ対メカゴジラ」の完成品とほぼ近いものになっているんですね。あと面白いのは、読んでいて少々間が抜けた感じがする部分…例えば、地球開発協会員たちのやりとり、ガルガ星人の目的、秘密警察の人間が突然取りだす原子マイクロバーナーなど…それらが、完成した映画からは消えていること。おそらく山浦弘靖によって、もう少しSFぽく描き直されたのだと想像(ブラックホール第三惑星人、その目的、マイクロバーナーは宮島博士のパイプへ)。福田監督による脚本自体は、テンポがよくて読みやすく面白いのだが、SF的なセンスには欠けていたのかも。

他にも、メイキング写真や、現存するプロップの写真なども紹介されており、重箱の隅をつつくようなコラムも愉しい。「ゴジラ映画以外の新作映画」というコラムは、映画史においてもなかなか表に出てくる機会のない作品に、さらりとだが触れている。「柔道一直線」をパクッたとしかいいようのなさそうな「柔の星」。みてみたいなあ(因みに、映画.comの作品紹介では、“「柔道一直線」の映画化”と書いてある)。

東宝チャンピオンまつりは、78年の春公開「地球防衛軍」を最後に終了。このときチャンピオンまつりがあったことを、当時は全然知らなかったですもんね。76年春にゴジラがなかったときのショック、77年春が「キングコング対ゴジラ」だったときもショックで(新作じゃないやん!というショック)、そこでチャンピオンまつりへの関心は一気に薄れてしまったんでしょうね。それで知らなかったのかも。

77年末公開の「惑星大戦争」、78年春休み公開の「地球防衛軍」、GW公開の「宇宙からのメッセージ」、そして6月から満を持しての「スター・ウォーズ」へと続くわけですな。特撮映画は「スター・ウォーズ」の登場で新たなステージに進んだとも言えるので、興行的な成績云々とは別に、役割としては、その勤めを終えた、とも言えるかもしれない。

78年3月第一週目には「北京原人の逆襲」が公開されてますし、そっちの方が気を引くよね。第二週には「親子ねずみの不思議な旅」(これも話題作だった)、その翌週、チャンピオンまつり公開日には、「フレッシュ・ゴードン」「真夜中の向こう側」「ミスター・グッドバーを探して」、そして四週には「恐怖の報酬」!小学5年生でしたから、三週目の3本共興味があったし、パニック映画熱に冒されていたので「恐怖の報酬」はもう絶対みたいと思ってましたしねえ。そりゃあまあ、チャンピオンまつりは、分が悪いわな。

チャンピオンまつり時代のゴジラは、特に批判にさらされることが多いけれど、これで育った我々は、決してそれだけのものではなかったことを知っている。この時代、ゴジラは間違いなくヒーローだった。それを実感として知っている我々は、むしろ幸せであった、と言い切りたいですな。自分の中に持つヒーロー像のひとつに、ゴジラがいるという幸福を手に出来たのだから。ヘドラガイガンメカゴジラと、文字通り、血を流して戦ったゴジラには、凄惨で死に物狂いの必死さがあった。あの姿があったからこそ、ゴジラはヒーローになった、とも言えるか。それは、それ以前の世代とも、平成シリーズ以降の世代とも違う、ゴジラ観かもしれない。よりゴジラの内面に入り込み、ゴジラと同化し共に戦った世代なのである。
あの時代、ワクワクして劇場に足を運んだことは間違いない。あれがあったから今がある。予算がない中、それでも懸命に作品を作った人たちのことも忘れません。彼らのおかげで、ゴジラがヒーローになったのだから。

中野昭慶監督については、以前、感想を書いた「特技監督 中野昭慶」も圧巻の読み応えなので、そちらもお薦め。