眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「クリス松村の注文の多いレコード店」 第10回ゲストは、南野陽子!

作詞・作曲も重要ながら、歌謡曲は、アレンジの力が何よりも大きいと思う…という南野さん。ということで、まさかの萩田光雄・大リスペクト。後半に萩田氏からの手紙も紹介されていたけれど、共に作品を作ったという信頼関係があるようでしたな。そしてリアルタイムでそれに触れていた我々も幸福だったのだな…と思わざるを得ませんでした。今、あの頃の歌謡曲を聴いていて思うのは、編成の大きさやカラフルな音使いなどの、音の厚みといいますかねえ。それによって、曲の、またそれぞれの歌手の世界観を作り出せていたんだなあ、と。贅沢だったなあ、と思いますね。
CBSソニーのスタジオで録音すると、音がシャカシャカする」とか、「自分が歌いたかった他人の歌は、村田恵里の『オペラグラスの中でだけ』」とか、

ファンには子供も多かったので、通常盤と特典付きの2種類のシングルが発売されるのは嫌だったとか、どういう曲が歌いたいかなど意見も積極的に出して、言わば曲作りにも参加していたとか、色々と細かく興味深い話しも多かったですね。

クリス松村の好きな一曲として、アルバムの中から「日曜日のクラスメート」、シングルでは「パンドラの恋人」が紹介されておりましたが、中途半端なファンゆえに、わたしは「日曜日のクラスメート」を知りませんでした…。「パンドラの恋人」、これはわたしも好きな曲。「話しかけたかった」の次の曲で、オリコン1位は取ってますけど、チャートから姿を消すのが割と早かった印象。全盛期の作品としては、マイナーな部類に入ると思いますね。「話しかけたかった」が明るい曲調(詩の内容はそうでもないが)だったのに対して、だいぶ大人っぽい内容の歌になっていたこともあるのでしょうかね。今聴き直すと、いいなあ、としみじみ感じる一曲。

本人がどこまで意識していたかは判らないけれども、今振り返ると、総合プロデュース的な仕事ぶりも含めて、結構アーティスト性も高かったのかな、と思いますね。後期は作詞作曲もしているし、アレンジにまで気を配っていたり、衣装や振り付けなんかも自分でやってましたから。

加えて事務所独立時のバッシングを生き延びたということもすごい。生意気だなんだと、相当酷い言われようでしたなあ、あの頃。ちょっとしたふくれっ面の写真を、悪意たっぷりに載せていた週刊誌とか、本当に酷かった。事務所絡みのトラブルゆえの嫌がらせという事情は、当時は見えませんでしたからね。しかし、歌えなくなったら、女優業にシフトさせて次々に色んな役に挑戦したことも忘れ難い。あきらめず、また独自の視線をずっと持っていたからこその現在なのだな、とも思わされます。

今はCDを探すか、レコードを探すかして(そのときはレコードプレーヤーも買わねばならないが…)、過去のアルバムを聴きたいなあと思っているところですわ。

南野さんの出る番組はたいていどれも可笑しいのだが、今年は既に、「ごきげんよう」でも飛ばしてましたよ。というか、あれは斎藤由貴が凄かったのか。