眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「こどもつかい」 感想

監督/清水崇

あらすじ
連続する変死事件。新聞記者の江崎(有岡大貴)は、子どもから恨まれた大人がその3日後に死んでいるという話を聞きつける。しかし、知り合いが変死したことに加え、恋人の尚美(門脇麦)が子どもから恨まれ、呪いをかけられる事態となったことで、事の真相を探るべく奔走する。子どもたちが口ずさむ奇妙な歌から、手がかりをつかんだ江崎だったが…。

以下、ネタバレを前提とした文章を書いています。

感想
ブラジリィー・アン・山田清水崇による脚本は、幼児虐待という社会の一面を盛り込んだ内容になっている。映画としては解決しても、現実の虐待問題は消えるわけではない。現実を反映した内容な分、単純に割り切れてしまう娯楽映画にはなっていない。言うことをきかない娘をベランダに締め出す母親。育児放棄のあげく自殺する母親。万引きした少女にいたずらする男。そしてこの物語の始まりであるトミーという男の性癖。どれもこれもが、げんなりさせられるものである。

加えて衝撃的なのは、主人公である門脇麦の行動である。一人で幼稚園にやってきた男の子の腕に傷跡があるのを見つけると、激しく動揺する。絆創膏を貼ってあげたその腕をしつこく擦るために、先輩保育士の西田尚美に注意されるのだが、この時点で既に危うい。その日、男の子の母親が迎えに来なかったために、麦は男の子を連れて部屋へ行くのだが、人の気配はしても誰も出てこない。仕方なく、麦は、男の子を自宅に連れて帰る。「本当のママがいないあいだ、わたしがママになってあげる」と言って。同棲している恋人の有岡大貴は驚くものの、三人で一晩を過ごす。担当している園児に、母親になってあげるというのは、いくらなんでも…と思わざるを得ない。保育士としての意識はないのだろうか。というよりも、実は彼女自身も虐待の経験者であることが次第に判ってくると、そもそもどうして、一番自分に不向きと思われる職業についたのだろう…という疑問も浮かんでくる。元の脚本ではそのあたりも描かれていたのかもしれないが、映画では言及されていない。あるいは、そこは察してくれ、ということなのか。

その男の子に、幼稚園で、ママと呼ばれたことで他の園児たちが騒ぎ出すところも、あーあ、という感じでがっくりくるが、衝撃的なのはそのあと。男の子の母親は自殺していたことが判る。部屋に行ったあの日、麦がぐいぐいとひねったドアノブに紐を廻して首をくくっていたのである。ドア一枚隔てたところで人が死にかけていたこと、そしてそれに間接的にかかわっていたということ、この生理的な嫌悪感と絶望感によるやりきれなさ。自分の意思とは関係のないところで人が死に、それに巻き込まれる理不尽さは、何もしていないのに呪いに見舞われる「呪怨」を少し思い出させる。その後、母を失った男の子は、施設へと引き取られることになるが、彼は麦にすがる。「ママ!」と叫んで。しかし麦は、それを「わたしはあなたのママじゃない!」と激しく拒絶するのだ。これは酷い。これはこれで、幼児に対する虐待が確定する瞬間だった。母親から虐待を受けていたという過去を背負った主人公ではあっても、だからといって、男の子をここまでおいつめて良いわけがない。あまりにも身勝手であり無責任すぎる。それも保育士という立場で。そりゃ恨まれるのも当然だと思う。ちっとも理不尽じゃない。さらにもうひとつ言えば、終盤で、彼女が妊娠していることがはっきりするのだが、どうしてちゃんと避妊しないのだろう。「母親になる資格なんてない」などというのなら。そういう生き方や考え方は、幼少時の虐待のせいなのだろうが…。映画としては、そんな過去のある女性が、この事件を乗り越えることでトラウマを克服し、母親としての自覚に目覚める、といった方向に舵を取りたかったと思うのだが…。実際、映画はその方向へ向かっていくのだが、それに納得できるか(容認できるか)どうかは観客次第…ということになるか。

ハーメルンの笛吹だとか、奇妙な歌の意味だとか、小さな人形の持つ不気味さだとか、人形の記憶の世界に入っていくだとか、色々と面白い要素はちりばめられている。それを面白いと思うかどうか…。それも観客次第だな…。ただ、中学生か高校生か、といった観客も多かったけれど、彼女らにとって、それほど恐ろしい映画ではなかったのではないかと思われる。笑い声も聞こえていたし。場内のリアクションとしては「貞子vs伽椰子」の方が、まだ良かった。誰が言っていたのか記憶があやふやなのだが(白石晃士監督?)、ホラー映画を作る際、「あんまり怖くしないでくれ」とプロデューサーから言われたという話があった。そういうことが、「こどもつかい」でも起きているのかもしれない。何のためのホラー映画かと思うけれど。行き過ぎた配慮があったとするなら、それはクリエーターたちのせっかくの才能も、愉しみにしている観客の期待も削いでいく。興行成績も上がらない。良いことは何もない。そんな誰の益にもならないこと、する人なんていないと思いたいけれども…。どうなんでしょうな(含み)。

清水崇の全作品を見ているわけではないが、「呪怨」の痕跡みたいなものはあちこちに感じられ、上之郷サーカスで何が起きたかという過去(記憶)には「輪廻」の白昼夢感もあり、自分の色を出そうとしている様子がうかがえる。が、如何せん物足りない。もはやホラー映画監督としてやりたいことはやりつくしたのか、それとも飽きたのか、もろもろの諸事情によりやる気を無くしたのか。あるいは、低予算で映画を撮ることの限界にうんざりしているのか…。

この映画を観に行った理由は、実はひとつしかない。河井青葉が出演しているからだ。役柄は、麦の母親。暗い画面の中で、幼い娘に悪態をつき、押し入れに閉じ込める。母を憎んだ麦(子役だが)は、こどもつかいの力で母を殺してしまう。部屋の隅の洗濯ものの山の中に、顔にいたずら書きをされた青葉の死体が横たわる…。
↓ドーン!

この過去が麦を苦しめるのだが、妄想の中で、死体は立ち上がり、逃げる麦を追いかけてくる。安いアパートの廊下をキャミソール姿で(スリップ姿といった方がよいか)歩き、麦の髪をぐっとつかむ場面の凄み。嫌な場面だったー。そして思うんだ、また虐待する母親か、と…。観客の中にも「この人、昼ドラでも子どもに冷たかったな…」と思った人が、3人くらいはいるんじゃないかな。あと、山中崇が有岡くんの先輩記者としてちょっとだけ出ている。こんなうわさ話なんか記事に出来るかよ、と有岡くんを怒るのだが、あんた「怪異TV」でそんな話を追いかけてたのに…!と、心で突っ込んでおく。