眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

二重生活 ★★★

監督 ロウ・イエ/2012/中国=仏/

ルー・ジエは夫チン・ハオと娘、お金にも恵まれ幸せな生活を送っていた。が、幼稚園で知り合ったサン・チーに浮気の相談を持ち掛けられたとき、偶然にも夫が女性とホテルに入るのを目撃。ショックを受けたルー・ジエは、夫の素行を調べ、相手の女性も追いかけ始めるが…。

映画の冒頭で、チン・ハオの浮気相手が交通事故で死ぬ。映画はそこから過去に戻り、どういう経緯で彼女が死ぬはめになったのか、そして主人公たちの幸せなはずの家庭生活がどうして破綻していったのかを描いていく。夫を捨てて娘と現状を維持する生活を選ぶルー・ジエ、どうしようもない男でも必要だとするサン・チー。浮気をきっかけにして、女性ふたりの愛と生の選択は、全く逆の方向へと人生の舵を取る。また中国特有の社会背景はあっても、都市化が進んで豊かになり、一方でそこから取りこぼされる人々がいて…という、地球上のどこの国でも繰り返される物語でもある。ルー・ジエたちは、自らの転落を、人の命を奪うことで止めようとする。そうして得た偽りの幸福を甘受する人々を断罪することなく、映画は終わる。その罪は、彼らを責め苛ませるだろうか。母に送られて悲し気に旅立っていくシャオミン。やるせなくなる物語の顛末。世界の現実。

泣く男 ★★★

監督 イ・ジョンボム/2014/韓国/

殺しの仕事を完遂したはいいが、幼い少女まで殺してしまったことで動揺するゴン。娘を失いながらも気丈にふるまうモギョンだが、元夫が彼女に送ったメールには、中国系組織の巨額の口座番号が記されていた。元夫はこれをロシアマフィアに売ろうとして殺されたのだ。ゴンは、組織からモギョン殺害の命令を受けるがそれを拒否し、彼女を守ろうと決意する。

中盤あたりまで、母との悲しい思い出を引きずるゴンと、娘を失ったモギョンの姿を中心にしてドラマが進む。それぞれ無残な結末を胸にして、後悔と絶望とを抱えて死を意識するぎりぎりを生きている二人を丁寧に描いている。が、サスペンスを中心とした物語自体は遅々として進まない。持って回った作りは、後半の怒涛のアクションと繊細な心理ドラマをうまく繋ぎきれず、何のための闘いなのかも見え辛くなっていく。主役二人の好演が勿体ない。が、後半のマンションでの戦闘は圧巻。ナイフを使った殺戮の凄まじさ、向かいの建物からの銃撃という距離感の取り方のうまさなど、圧倒的な迫力。クライマックスの、モギョンの勤めるビル内での戦いよりも、空間を意識させる画面設計が生きており、格段に素晴らしかった。

ある母の復讐 ★★★

監督 イ・ジスン/2013/韓国/

10歳になる娘と暮らすシングルマザー。その娘がレイプされる。精神的にも肉体的にもダメージを受けた娘を狙った犯人を、一刻も早く逮捕してくれと懇願するが、警察も別居中の夫も他人事。娘の証言を頼りに母は一人で犯人を捜し始める。

最初に警察に行った時の制服警官の適当な対応、担当刑事の捜査の進め方(「勝手な行動は困る」「手順を踏まないといけない」と、主人公を非難)、自分の名声だけが大切な夫、犯人をみすみす逃してしまう警官など、主人公を取り巻くゴミのような人間たち。頼りにならない社会、人間、警察。社会から見捨てられた者は、アンダーグラウンドな世界に頼るしかないのだろうか、主人公の行動は私的制裁へと向かう。歯を徹底的に痛めつける場面に異常に力が漲り、一気に下世話な見世物に。娯楽映画としては手堅いが、社会問題を孕んだテイストは消え、この決着の付け方でいいのかどうか。また、犯人の目星となる赤ずきんに関しては明らかに描写不足な上、部屋を探し当てる場面も、地道に足取りを追うドラマが急にファンタジーのようになっているのが不可解。本来はもっと長かったのをカットしたのだろうか。74分という上映時間は如何にも短い。

海角七号 君想う、国境の南 ★★

監督 ウェイ・ダーション/2008/台湾/

夢破れて恒春に戻って来た阿嘉(アガ)。雑用ばかりやらされて不貞腐れ気味のモデル友子(日本人)。中孝介のライブの前座のオーディションで選ばれたポンコツな組み合わせなメンバーたち。当日までにまともな演奏が出来るようになるのだろうか。

そこに、戦後、台湾を離れた日本人が恋人に宛てて書いた手紙が、別軸の物語として絡む。てっきり主役二人の恋愛と過去の悲恋が重なる映画と思っていたら大間違いで、登場人物は想像以上に多く、それぞれにちゃんとドラマが用意されていて、意外やこれは群像劇といった体裁の映画であった。交通整理の警備員がルカイ族であったり、マラサン!と酒の売り込みがやたら煩い営業が客家人であったり、友子が日本人であったりと、民族や世代が入り混じる中の交流の物語である点が、日台の悲恋、統治時代への複雑な想い(郷愁も含む)といった民族の狭間の問題と重なるが、がっちりと縦横軸が噛み合った構成になっていないので、分離された二つの物語が並走しているように見える。が、ライブで共に歌われる「野ばら」(統治下で歌われていたという)には、民族を越える力がきっとあるはずという未来が託されているようで、少し感動的。

ザ・コンサルタント ★★★★★

監督 ギャヴィン・オコナー/2016/米/

数字に関して天才的な能力を発揮し、裏世界の資金洗浄などに加担しつつも、命を取られることなく仕事を続けている凄腕の会計士、クリスチャン・ウルフ。正体を探る者の目を逃れるために、リビング・ロボ社からの真っ当な仕事を請け負うことになるが…。

映画の内容を誤解させる、最低な予告編。

ウルフの話と、財務省と、警備会社と称する殺し屋組織の話とかがなかなか一つにまとまらない、はぐらかすような展開。しかもウルフが高次の自閉症を(ある程度)克服したという設定や、リビング・ロボの帳簿の不正を見つけたデイナの、数字に理解があり芸術家肌でまっすぐな性格から加味される、微妙なユーモアが随所に散りばめられる。スリリングな物語を丁寧に語りながらも、笑いにも繋がる視線の外し方が見事。放置したままの死体は、きっと特別なチームがきれいに片付けるのだろうと思う時、例えば「ジョン・ウィック」にも似た、独自のルールが存在する世界の物語に思える。はまるべきところにはめられるパズルの如き遊戯性は、不思議な虚構感で構築された箱庭のようである。ビル・ドゥビュークのオリジナリティあふれる脚本、それをここまで面白い映画に仕上げたギャヴィン・オコナー、双方の才能に嘆息。

少年と自転車 ★★★★★

監督 ジャン=ピエール、リュック・ダルデンヌ/2011/ベルギー=仏=伊/

シリルは、児童養護施設暮らしの少年。父は迎えに行くと言ったきり音沙汰はない。父との繋がりを必死で模索し、前に住んでいたアパートに押しかけ、自転車はどこにあるかと探し回り、その度に周囲の人々に迷惑をかけ続ける。診療所でシリルの行動に巻き込まれたサマンサは、自転車を見つけ出し、彼に手渡す。シリルは彼女に「週末だけ里親になって」と頼む。

大人に対した時の警戒したシリルの目が、それまでの人生を全て物語る。12歳とは、大人になりつつある年齢である。自分の立場について理解しつつも、芽生え始めた自我の扱いに迷い、実際にどう行動すればいいのかが判らず戸惑う。映画では、その原因を碌な大人と接して来なかったこととし、断罪している。子どもが成長していく過程で如何に大人の存在が重要であるか。大人は、子どもに対して何が出来るのか。何をやらねばならないのか。ほとんど無償の愛情を注ぐサマンサの行動にひたすら感嘆し心を震わせる。二人の関係が密になった、サイクリングの場面に思わず涙が出た。劇中シリルに接する大人は、男性は皆冷たく、女性は皆優しい。ダルデンヌ兄弟が男性だけに、男性の無理解と拒絶をより意識したのかもしれない。

メイン・テーマ ★★★★

監督 森田芳光/1984

幼稚園の保母である小笠原しぶきは、送り迎えにくる園児の父御前崎のことが好きだったが、御前崎一家は大阪に転勤に。しょんぼりするしぶきを海辺でからかう青年、大東島は見習いマジシャンで、ふたりは気の合うような合わないような微妙な関係のまま、大阪へと向かう。そして大東島は故郷の沖縄へ、しぶきは御前崎に会いに行くのだが…。

ひと言であらすじを説明出来ないところに、この映画の面白さと難しさが表れている。それ意味ある?というような冗談のような一瞬のワンカットや、奇妙なやりとりが随所にあり、前後の繋がりを無視したぶつ切りの状態で挿入されている印象。ではそれが笑いに繋がっているのかというと、大変微妙な味わいであることは間違いなく、が、それが如何にも森田芳光的世界であるのもまた間違いがなく、過去作で描いていたものと同一線上にあるのも間違いがない。そこが面白さだが、少々羽目を外したか、独りよがりになったとっつきにくさもあり、抵抗感を示す意見が出るのも判る。中身がないというのなら、確かにそうかもしれないが、好きな人間からすれば「それがいいんじゃないか」と反論が出来てしまう幸福な映画でもある。