眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

神の左手悪魔の右手〜錆びたハサミ

楳図かずお・著/小学館(1987年)

昨日、Eテレで「SWITCHインタビュー 達人達」という番組にたまたまチャンネルが合った。楳図かずお稲川淳二!途中からだったけれども、そのままみましたよ。スタジオでのトークはいまいち噛み合ってない感じだったけれども(話しを聞く側の楳図さんが質問ベタということもあるか?)、稲川さんが吉祥寺の楳図邸を訪ねてのトークは、楳図先生の話が色々聞けて愉しかったな。やはり喋るのが仕事の人は、話しを引きだすのもうまいということなのか。

今の若い人は勿論だが、かつて楳図まんがをふるえながら読んだという人たちも、楳図かずおの凄さには、意外と気付いていないんじゃないか、と思っている。子供の頃に読んだっきりの人には、今一度、いい年こいてからの今こそ、読み返してほしいと思いますな。代表作がどれも凄すぎて、そちらで語られることが多いけれど、数多ある短編のなかに、ぞっとする意味のわからぬ話しがあるかと思えば(理に落ちないことの恐怖)、人の心の底知れぬ暗さについて淡々と語っていたりして、びっくりしますよ。

番組をみていると猛烈に何か読みたくなり、この神の左手悪魔の右手を。絵コンテのように描きこまれている例として取り上げられていたので。楳図作品後期の代表作のひとつですな。第1話の「錆びたハサミ」は、最初に刊行された単行本では二色刷りで、眠っている少女の眼からハサミが飛び出すというえげつないスプラッター描写で始まるのですが↓、

とにかく全編血濡れの凄まじい世界なんだけれども、話しの作り方がそれ以上に凄まじい。面白くするためにはここまでやるのだ、やらねばならぬのだ、と言わんばかりの圧倒的リーダビリティというか、妥協知らずの筆の勢いというか、本当に初めて読んだとき度肝を抜かれたのですが、久々に読み返すと改めて驚きますな。

姉の泉の眼からハサミが飛び出すという悪夢におびえる想(小学生)。そこへ泉の悪友がやって来る。大雨で担任教師が死んだ。それを見に行くのだと無理矢理連れだされるのだが、彼らが川でみたのは、どこからか流れて来た「地下室」。くっついてきた想は、その地下室の奥で泥に埋まった錆びたハサミをみつける。泉はハサミを持ち返り、翌日想は、机の引き出しに、そのハサミを突き立てられた飼い猫の死骸を発見。そのあとは、死んだ担任教師にかわって北海道から赴任してくるハンサムな男性教師、想がみる彼に関する不吉なビジョン、口から大量の泥を吐きだす泉…。かつぎこまれた病院では発作のように彼女からあれやこれや(読んでのお楽しみ)が吐き出され、その度に建物が揺れ、壁が割れて血が噴き出す…。

現実なのか、それとも想がみている夢なのか妄想なのか、判然としない。想の視点で描かれるので、かなり勝手な思い込みがあり、しかしそれによって話が(世界が)作られていくのがまた不安定で、足元が揺らぐようなおぼつかなさなのも怖い。何かが狂っている、とても尋常ではない描写の連続。そして話しはミステリアスに展開し、グロテスクな真相へと至る。そこには、この世界の中(想の世界)だけで通用する理屈があり、楳図作品が昔からもっていたミステリ趣味も感じることも出来る。

とにかく想像を超える発想が、発表後25年以上経っても未だ力を失っていないのは驚嘆に値すると思います。いやそれを言えば、もっと昔の作品だって色褪せてないんだからなあ。物凄い才能なんですよ、本当に。手塚や藤子・Fだけが凄いんじゃないんだよ、と。先日の「探検バクモン」では、小池一夫さんに話を聞いてたけど、これらご健在の、生きる伝説のような人たちにもっと話を聞くべきだし、もっとリスペクトすべき。外国人から質問されたときに、全日本人がさらりと答えられるくらい、日本の宝について、皆知っておくべきだと思いますな。

神の左手悪魔の右手」は他に「消えた消しゴム」「女王蜘蛛の舌」「黒い絵本」「影亡者」があるがどれも素晴らしい。と特に「黒い絵本」は行きつくところまで行ってしまった孤高の一作。素晴らし過ぎる。そして血のスペクタクルと化す「影亡者」の面白さ。これはもう、想像外に展開するドライブ感が最高の作品ですな。