眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「ゾンビ/ダリオ・アルジェント監修版」 感想


<あらすじ>死者が甦って生者に襲いかかり、その肉を喰うという世にも恐ろしい事態が世界中で発生。スティーブンと恋人のフラン、SWAT隊員のロジャーとピーターの4人は、スティーブンの操縦するヘリコプターで街を脱出。あてもなく行くうち、眼下に現れたのは巨大なショッピングモールだった。そこには大量の物資が残っており、彼らは、しばらくここで暮らすことにするのだが…。

世間的には、今や米国公開版がスタンダードになっているのかもしれない。久しぶりにアルジェント版を見返したのだが、これはこれで良い…というよりもむしろ、こっちが正解ではなかったか、という思いを新たにした。

今更書くまでもないが、日本公開版は、アルジェント版を編集して作られたので、当時を知る人にはこちらの方がオリジナルと言ってもよいだろう。残念なことに公開当時は小学5年生で、劇場まで足を運ぶ勇気がなく…。大変、恐ろしかったのだ。無理はない。

日本公開版予告。

もはや幻の日本公開版・冒頭シーン。

(日本版→)アルジェント版→ロメロ版→ディレクターズカット版、と右に行くに従ってドラマ部分が追加されていくので、虚無感も右に行くに従って増していく。終末の見える絶望感もより高くなる。それで退屈になるわけではなくて、やりきれない気持ちになっていくだけである。なのであまり何度も見る気にはなれない。といっても、アルジェント版が能天気な映画かというと、そんなこともなく、多少ドラマ部分があっさりしているくらいで、地獄絵図が繰り広げられることは変わりない。巨大なショッピングモールの中で裕福な暮らしを叶えても、札束を手にしても、何の意味もない。にもかかわらず、スティーブンは暴走族が乱入し略奪するのをみて、「俺たちのものだ」と怒り、族を狙撃し始める。いや、あんたのものでもないだろう、と見ながら思う。自分のものではないものを勝手に自分のものだと思い込んでいる時点で、スティーブンと族にはさして差はない。その視線は崩壊前の世界の価値観のままで、だから彼らはこの世界を生き延びることは出来ない。飽和状態の経済至上主義が崩壊したときに、何が残るか、どう生きるのか、77年当時にロメロが見据えた未来社会像は古びるどころか、リアリティを更に増している。

アルジェント版には、ゴブリンの音楽がより多く使われているところが、ロメロ版との大きな違いだが、確かにそれだけでアクション映画風になるのだから面白いものである。ピーターが、やっぱり死に切れずに脱出をはかるところから「サラトゾム」が流れるのだが、ここは最高にかっこいい。

ロメロ版では、ご陽気なヒーロー登場めいた音楽が流れて、初めてみたときにはひっくり返った。ロメロはゴブリンの音楽を極力使わず、ありものの音楽を使用しており、そのため製作された当時の映画よりも、ずっと古い時代の映画のように思えてしまう。それが狙いだったのだが。

それにしても、やはり面白い映画だった。定期的に見返すに相応しいマスターピース