眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「鍵の掛かった男」 感想

有栖川有栖・著/幻冬舎

大阪中之島の銀星ホテル。その一室に5年間住み続けていた梨田は、カーテンのタッセルを使い、首をくくった状態で発見される。警察は自殺と判断するが、ホテルの従業員や常連客たちには、信じられない。大御所作家の影浦は、ホテルの常連であり梨田とも親しくしていた。どうしても自殺と思えない彼女は、ミステリ作家の有栖川有栖に、他殺だと証明してほしいと頼み込む。有栖は渋々、調査を開始するのだが…。

火村准教授シリーズを読むのは久しぶり。火村と有栖の、基本的な人物設定が判っていることもあり、割合すらすらと読めた。

400字詰め原稿用紙で1000枚近い大著なのだが、ぎっちぎちにミステリ濃度が高いものではない。中之島という小さな空間が舞台となっていて、有栖はそこに建つ銀星ホテルを拠点にして、あちらこちらと死んだ梨田の過去を探って奔走する。その過程は、緊密なサスペンスとして描かれるわけではなく、ゆっくりとしたペースで語られていく。勿論その中で、新たな事実が判明してくるとそれは面白いが、新たな事実が判ればそりゃ盛り上がるのは当然で、別にそれはミステリとしての面白さではない。有栖が単独で行動する(火村は大学入試のために忙殺されている)前半は、事実と背景を探るためのもので、あとの展開のための地ならしというか、事件を推理するのためのネタを撒いていく状態にあたる。

ゆっくりしたペースというのは、本筋とは関係のないことにも、あれこれと言及していることも影響している。中之島界隈についての説明などにも頁数を割いており、ここらは観光ガイドとしても読めるものになっている。有栖川有栖のこういった作風や描写が好きな方には問題は何もないが、ミステリ小説を愉しみたい一見の客の中には、辛い思いをする方もいるのではなかろうか。ただ文章そのものは平易なものなのであり、凝った表現でうんざりさせられることはない。読みやすさも、有栖川作品の特徴であろうか。

中盤から、火村が調査に加わり始めると、それまでに集めた証言やデータを基にして推理を組み立てる展開になる。ごく些細なことが、意外なところに繋がっていたり、人物の心理を推理する手助けとなったり、というのはミステリの醍醐味である。ただし、地道に推論を積み重ねることで真相を導き出す論理型のミステリが、有栖川作品の身上なので、驚天動地のトリックが炸裂!とか、予想外の叙述トリック!とか、そういう派手なものとは、縁がない。今回の作品でも、火村が犯人が誰か気付いた理由は、極めて地味なものである。読み手としては「ああ、なるほど!」と膝を打つべき決定的な瞬間が、こんな地味なことなのか、というのは正直驚かされる。これこれこうだから、結論はこれしかない、だから犯人は誰々しかあり得ないのだ、という点においては、確かに当を得た見事さがあるし、個人的には面白く読んだのだが…。まあ余人の持つ感想にまでこちらが思いを巡らす必要もないが。

梨田という男の人生を調べるうちに見えてくる彼の過去は、思いもよらぬ人々の人生についての物語ともなり、無情で非情な運命の物語として、読み手の心に残る。しみじみと感じ入る、味わいのある物語として昇華されていくところが、もうひとつの読みどころかもしれない。人ひとりが死んだことに端を発するミステリの、殺伐とした真相を経たあとにやってくる、人の心の温かさと美しさに、思わず感動するのであった。

ひとつ気になったのは、有栖の言葉の選び方が乱暴というか、そっけなさ過ぎること。謎を解明するためには、客観的であらねばならないとはいえ、それにしても人の発言に対しての、心のうちでの突っ込みが相手を(あるいはその発言内容を)小馬鹿にしているように読めて、ちょっと嫌になった。まあ、シニカルとも人間嫌いとも劇中で言われているけれど。いろんな事件を見て来たはずなのに、視野が狭いのではないだろうか。こういう人だったっけ?子ども程度の世界への認知力で、ここまでやってきた人のようだ。それとも、江神シリーズの有栖が書いている小説だと思えば、あっちの有栖のメンタリティがここに出ていると考えればいいのだろうか。