眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

晴れ、ときどき殺人(1984)

監督は井筒和幸

BSプレミアムで。

ある企業の会長である浅香光代は、殺人事件の現場に遭遇し、その犯人と思われる者から、喋るなという脅迫を受けていた。しかし彼女は、あることから身内に犯人がいることに気付き、アメリカから帰国した一人娘・渡辺典子にそれを告げようとするが、直前に息を引き取る。会長の秘書、主治医、次期会長の座を狙う社長、その息子、そして殺人事件の犯人として追われている太川陽介ら、登場人物が揃った後、弔問客が来る中で、またしても殺人が起きる…。

当時、渡辺典子が好きだったので、この作品も好きだった。と、思っていたのだが、見返してそうではなかったことを思い出した。作品のゆるい空気そのものが好きだったのだ。そして、渡辺典子も、その中でふわふわと頼りない演技をしているから、可愛いかったのだ、と。ゆるい空気は、俳優たちがあまりにも、のびのびと演技をしているところから感じるもので、おそらく監督の井筒和幸は、かなりラフな演出をしているのだと思われる。本来ならNGとなっていそうな場面も多く、それよりもノリの良さを優先させたと思しい。勿論、やる気がなくて、なんでもOKにした、という可能性もあるけれど。しかし、好き勝手にさせたことで、いい意味で間の抜けた雰囲気がうまれており、それが楽しいのである。が、それは万人に受け入れられるものではないようで、当時も不評だったし多分今も、そう変わらないだろう。年月を経たことで、当時の笑いの取り方がよくわからなくなっていたり(九十九一のところなど特に)、音が悪過ぎて何を言ってるのか全然聞き取れなくて閉口したり、マイナスになっている部分もあるが、とにかく色々と奇怪な見せ方が多いので、飽きることがない。

そもそもこの映画は、渡辺典子主演のアイドル映画という面も大きいはずだが、純粋なアイドル映画としては、果たしてどうなのか。俳優としては少々拙い彼女は、それだけにアイドルとしての資質は悪くなかったのではないかと思う。真っ当なアイドル映画として作ることも可能だったはずだが、井筒和幸はそれをしていない。拙さゆえの聖性をブチ壊そうとするように、夜中にひとりでシコシコと何やってんのよ、という台詞を言わされたり、赤いレオタードでジャズダンス踊らせられたり(やたら汗をかいて胸元が濡れているのも過剰)している。薬師丸ひろ子原田知世には、なかった扱いである。そういえば、「伊賀忍法帖」だって、美保純と首をすげ替えられて体を凌辱される(結局、演じているのは美保純なんだけど)、というそんな役でしたよ(さらに「積木くずし」もあった)。この映画でもかなり意識的に、典子にエロスをまぶそうとしている。それは、角川のアイドル映画という制約の中であっても、俺の撮る映画だという、井筒和幸の刻印なのかもしれない。他にも、エロティックな場面は多く、やたらトルコトルコと連呼され、セックスが事件と密着し、女性のヌードもあり、といった按配で、その中に放り込まれた渡辺典子が如何に、角川三人娘で特異な立ち位置にいたか(あるいはないがしろにされていたか)が、判るというものでもある。角川映画には平然とセックスと暴力があふれていたが、ひろ子・知世の映画で、ここまでのものがあっただろうか(まあ「探偵物語」でも「セーラー服と機関銃」でも、あったと言えばあったか…)?凄惨でセックスまみれな世界では、典子の聖性が際立つ、という見せ方でもあったろうが、逆に、ひろ子・知世とは違う、下世話なエロスが加味されて、渡辺典子には、この後(個人的にだが)、どこかエロいイメージがつきまとうことになる。

赤川次郎原作なので、ミステリー映画である。全体がでたらめにみえる映画で、そこに関しては、意外なほど、律儀にやっている印象。あの場面は実はこうだった、という見せ方をしているのも、ああなるほど、と思えるていねいさ。事件の解決は、適当にお茶を濁されると思っていると、予想外にきちんとみせてくれるのは驚き。二回みると、美池真理子のカットが不自然に挿入されているのも、トルコと連発されるのも、探偵がやってくる中盤での長回しにも、意味があることがわかる。

ただ、見せ方が不親切なところも多く、元々の脚本(丸山昇一)を現場でだいぶ変えたのではないかとも想像され(あるいはカットしたか)、物語と描写の繋がりが上手くいっていない所も散見される(終盤のプリズムのくだりなどはかなり唐突ではないかと思うのだが…)。映画の出来栄えとしては致命的なのだが、個人的にはそういうことは、今となってはどうでもいい。良く出来た映画をみるのは愉しいが、そうでなくても映画は愉しめる。この映画は、当時を知る人たち向けの、当時を懐かしむ映画、という側面が大きくなってしまったということ。映画というのは、そういうものであって、その時代ごとの記憶を刻みつけた証拠のようなものなのだから。大体、年月を経ても生きている映画の方が珍しいんだから。のんびりと、自分の若かりし日を思い出しながら、ぼんやりとみていると、懐かしくて、愉しい。そういう見方もある、ということです。