眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

ジャガー・ノート 感想

監督はリチャード・レスター

大西洋を航行中のブリタニック号に7個の爆弾が仕掛けられた。爆弾処理チームが解除に向かう。果たして船は、乗客は助かるのだろうか。

ブリタニック号が出航する。乱れ飛ぶ紙テープ。まだ残ってますよさあどうぞ、と船員が乗客にテープを渡す。狂騒のような船出が完了したあとの港には、ゴミ屑と化したテープの山。それを、あーあ散らかってるなあ、などとぼやきながら掃除をする男たちの後ろ姿。豪華客船の食事は、喧騒のなかで繰り広げられる。乗務員はあっちへこっちへと動きまわり、厨房は混乱状態となり、大量の食べ残しはどんどんゴミとして処理されていく。

イギリス映画だから、という先入観もあるが、ここには皮肉でシニカルな視線がある。物事に裏側は絶対にあるが、当人以外には、それは全く気にされない。どんなに大変な思いをしていても、それが他人に伝わることなど、ほとんどない。どこかの誰かの苦労や犠牲の上に、自分の生活があるのだということに、多くの人間は気付けない。

乗務員の一人が、爆発に巻き込まれて死んでしまう。彼は、子供を助けるために命を失うが、その死を船内の誰かが悼んでいる様子はない。乗員たちは知っているだろうが、乗客はおそらく誰も知らない。救われた子供も知らない。その母親も知らない。死んだ乗務員は、人種的な問題も抱えているようでもあった。そして子供を救わんと、奔走した結果が、これ。誰にも感謝されない人生。あまりにも報われなさ過ぎて、ちょっと笑ってしまうくらい。

あるいは、やたらとテンションの高い、お客様対応係みたいな乗務員。彼は、劇場のオーディションに落ちて、こちらに受かったという。航海は二度目、と言っていたか。全く自分の存在を無視するような乗客たちに、それでもけなげに接客する。デッキで行われるゲーム、船内での仮装パーティー、一生懸命に盛り上げようとしているが、完全に空回り。乗客は彼の存在をまるで空気のように、無視し続ける。爆弾が仕掛けてあることがわかったあとの、パーティーの場面の悲惨さは、なんとも言いようがないこの映画の見どころ。必死の盛り上げも虚しく、誰も踊らず、クスリとも笑わず、沈鬱な空気だけが流れるのみ。しかし彼は職務を果たさねばならない。なんという辛さ。

皮肉な視線には、それゆえの黒い笑いが付随し、それが全体を覆うトーンとなっている。先の二人もそうだが、例えば他にも、乗務員が報告のために船長室に行く場面。ゆるゆると制服のボタンをとめている船長と、けだるげにベッドルームから出てくるその愛人。いまさっきまで、そこでセックスしていたのが丸わかり。職務中にそれはないだろう。また、荒天で、船がゆれまくっても船上デッキでのゲームをやる人たち。何もそこまで。爆弾処理チームの一人が死んだため、その穴埋めをやれと(船長に)命令される乗務員。簡単に言ってくれるなと思っただろうな。大きな音をたてて、皆がひやっとする、不謹慎な笑いも黒い。緊迫した状況下でも、お茶を飲む船長。同じく、爆弾処理(犯人追跡中だったか?)の実況中継中に、お茶とスコーンを手にしている刑事。ティータイム、そんなに大切かイギリス人。勿論、そこにも自嘲的なものが潜んでいるのだろうが。

犯人も含め、あまり人生が上出来とは言えない人たちが描かれている。しかも、愛すべき人物というわけでもない。運もない、実力もない、無力な人々。この客観性は、虚しさと悲惨さの向こう側に、現実ってこうだよな、という苦い笑いをもたらす。そこに普遍性がある。この映画のなかで、ひとりだけやたらかっこいいリチャード・ハリスですら、爆弾解除のあと、甲板に出てくるところで、これらの無名の人々に混じってしまう。彼が船を救ったことなど、乗客は誰も知らない。与り知らぬところで、誰かが、何かが、踏ん張り、また犠牲になっている。それがあって、世界は成り立っている。それに気付かない人々が、非情で傲慢にみえる。知らないから、というのは簡単だが、知ろうとしない、ということは問題ではないか?と書くと、非情で滑稽な人の営みを、冷ややかに嗤っているようだが、そこまで重くシリアスではない。如何にもイギリス映画らしい皮肉な笑いを伴うサスペンス映画。リチャード・レスターらしい映画、といっていいのかもしれない。


こんな2本立てで上映されていたなんて。いいなあ。

Juggernaut/1974/イギリス/イマジカBS