眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

「ウルトラQ」 第9話「クモ男爵」 感想

〈あらすじ〉万城目たちはパーティーの帰りに道に迷う。一平と竹原が底なし沼に落ちてしまい、助けを求めて古い館へとたどり着く一行。館にはひと気はなかったが、巨大なクモが巣くう場所だった…。

KBS京都での「総天然色ウルトラQ」の放送も順調に回を重ねている。録画してそのまま放りっぱなしなので、これはいかんと思い直して、ちびちびとみております。

冒頭で灯台に出現するクモは、何故あんな遠いところまで出張っていかなければならなかったのだろう。灯台と館の間は結構離れているように見えたが、クモはどうしてそこまでして動かねばならなかったのか…。灯台の明かりが憎らしいのかとも思ったが、はるか以前からその光は海を照らしていただろうから、今更怒る理由はない。ドラマのナレーションは、「クモになってしまった人間がもとに戻りたいと助けを求めていたのだとしたら…」とラストで何やら唐突に言い出すのだが、だとしたら、灯台までわざわざやってきたのは、助けを求めてのことだったのか。ではなぜ、あえて今、助けを求めねばならなかったのだろうか。

館内はもう廃屋同然であった。人がいなくなってからずいぶん経っている。思うのだが、クライマックスで館は炎上し倒壊するが、そのカタストロフは異常なほどに急激なものではなかっただろうか。とするのなら、館はもういつ倒壊するかわからない状態であったということなのだろう。クモたちにとっては、永年住んできたところを失うという緊急事態だった。元が人間である彼らは、外の世界に出て捕食するという術を得られなかったのではあるまいか。おそらく、館に紛れ込んできた虫などをとらえて食べていたのではないか。というのは、結局のところ、人間は誰一人として死んでもいないからである。いや冒頭では殺されていただろうというかもしれないが、岩本弘司は、本当に死んでいたと断言できるだろうか。気絶していただけ、という可能性も残されている。あるいは、死んでいたとしても、ショック死の可能性もある。つまり、クモたちには捕食する気はさらさらなかったということかもしれないのである。襲ってきたのではないとすると、クモたちは終始「助けてくれー!」と叫んでいたのか。しかしその声は人間には届かずに、死を迎えたということになる。

万城目は、嘘とも本当ともつかぬ「クモ男爵」の話をするのだが、そのクモ男爵の館が、彼らが今いるこの館であるとはとても言い切れまい。しかし単なる偶然というのもどうなのか。彼の話のように、この館には大きなクモが二匹存在しているのだから。では、これが偶然ではないとしたら、どういう可能性があるだろう。万城目は引き寄せられたのではないだろうか。クモ男爵の話を知る者が、クモたちに呼ばれる…。SFやファンタジーであれば、この偶然はあってもおかしくないと思うがどうだろう。灯台へもクモたちは念を送ったが、それを受け取れる者はいなかった。だからわざわざ出向いていかざるを得なかった。しかし万城目は自称SF作家でもあるので、その辺のことには理解がある。知らず知らずのうちに、眼には見えない精神的なクモの巣にとらえられ、導かれた。そして彼自身も知らぬうちに、ひとつの使命が委ねられた。それは、「戻る術がないのなら引導を渡してほしい」という、クモの願いである。万城目は、ナイフで一匹を刺し、もう一匹を車で轢いている。彼が二匹のクモを殺しているのだ。一匹ならともかく、もう一匹は、別の誰かが殺す方がドラマ的なバランスは取れる。だがそうはなっていない。彼でなければならなかったのだ。クモが彼を選んだのである…。と、いう個人的な妄想である。

作品としてはゴシック感満点の、非常にきちんとしたホラーという感じ。しかしながらこちらもいい歳なので、怖いということはない…と思っていたのだが…。

カメラがゆっくりと動いて、室内にいる人たちの様子をとらえる場面がある。バックにオカリナの不穏な音楽が流れて不気味な雰囲気を盛り上げるのだが、カメラが最後に映し出すのは、それを吹いている一平である。えっBGMじゃなかったのか、という驚きがあるのだが、ここで若林映子桜井浩子に「その音楽やめてよ」「気味が悪いわ」などと言われてしまう。言われた一平は不承不承という感じで口から離すのだが、ところが今まで吹いていた音楽がオカリナから流れ出てくるのだ。この場面の得体のしれなさは、ストレートな怪物ホラーと思ってみていたこちらに、想像していなかった恐怖をもたらしてくれる。人がクモになることは百歩譲って何らかのSF的アプローチが出来ても、勝手に鳴る笛にはどういう理屈がつけられるというのか。いや出来るだろうけれども、あまりにも不穏なのと意想外のことなのとで、とっさに沸き立つ恐怖感は、理屈を超えてしまうのである。ここは怖い。「ウルトラQ」の中でももしかすると一、二を争う、さりげない恐怖シーンではないだろうか。

ウルトラQ」は破格の予算がかけられたことは知られているが、もちろんその多くは特撮にかけられたものである。だが、今回の館のセットなど見事なもので、かなり大掛かりな作りになっている。自動車が走るところはさすがにロケながら、森やら沼やらの屋外シーンもセットだし、館の外観もきちんと作られている。特撮だけにお金がかかっているのではないのである。クモは、口が動くギミックの施された大きなものが用意されている。実体のあるものが人間と実際に絡むというのは、異様な臨場感がわいて、なんとも心がざわつく感じがよいですね。館のミニチュアも雰囲気があってよいが、ことに、崩壊して沼に沈んでいく場面が素晴らしい。なんだか、ぐにゃりと内側に曲がるようにして沈んでいくのである。トビー・フーパーの「ポルターガイスト」で、家が光に吸い込まれてどんどん小さくなっていくラストを思い出した。まるでそこに建っていたのが信じられないように、きれいに姿を消してしまうところも。一瞬のうちに消え去ってあとには静寂が残るのみ。すべてが夢であったかのような儚さと不気味さ、そして美しさが感じられる素晴らしいラストシーン。

滝田裕介と若林映子という、今となってはなかなかに豪華なゲストを迎えているのが嬉しい(もうひとり、沼に落ちて熱を出してうなされる竹原役の鶴賀二郎は、あまり目立った俳優ではないが、円谷プロではその後「マイティジャック」や「怪奇大作戦」などにも出演している)。若林映子は、「ウルトラマン」では「ミロガンダの秘密」のゲストだったけれど、あのときよりもずっと魅力的で出番も多い。闇に怯えながら地下室へ進み、現れたクモと格闘し…と、ファンとしては絶対に押さえておきたい作品でしょうな。桜井浩子にとっては、東宝の先輩で、時間が空いたときにおしゃれな喫茶店だかに連れて行ってくれたりして、よく可愛がってくれた…というお話をどこかで読んだ。洋泉社のムックだったかな。