眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

赤んぼう少女〜楳図かずお作品集〜


角川ホラー文庫から出ていたもので、他に「黒いねこ面」「怪談」が収録されている。

40代半ば世代では、「のろいの館」というタイトルの方が、通りがいいのではないかと思われる。秋田書店から出ていた単行本(↓これですな)。

書店の棚に並んだ背表紙に見えるタイトル、そこから想像される内容に、いちいちおびえながら、表紙を確認したものである。それだけで充分、恐ろしかった。そして今思えば幸福な時間であった。今の子供たちは、町の中のどこで、恐怖を感じているのだろう。現実生活におけるリアルな恐怖は、わたしたちの頃よりも切実かもしれないが、そうではなくて、フィクションが現実を喰い破るような恐怖…ですな。安全圏にいるはずなのに、恐怖がこちらにまではみ出してくるような、そういう恐怖。ま、今は今なりの恐怖が、子供たちを震え上がらせているのだろうけれど。

読み返すと、こんな話しだったっけ…と。このブログではいつもそんなことばかり書いているけれども、また同じことを思ってしまう。昔の印象と違っていることが多い。その昔も、はるかな昔ではなく、5年ほど前だったりするのが別の意味で恐ろしいのだが。全然覚えてない、ということですわ。

外見は赤ちゃんのまま、でも心は年頃の娘だという、タマミがいわば本当の主役。怪物的な存在として、表向のドラマを動かす主人公としての葉子を恐怖に陥れる。とにかく、タマミの境遇が悲し過ぎて、ホラー漫画として単純に怖がるために読むには、あまりにも重い。特に、化粧をした自分の顔をみて、涙を流す場面など、胸締め付けられる。ところが直後に、高笑いをしながら服をびりびりに破り、葉子を呼びつけて乱暴狼藉の限りを尽くす。悲しみを、強引に笑って否定し怒りに変える。コンプレックスを乗り越えるのを諦めるのは仕方ないにしても、その諦め方は、大変残念な方向でのそれなので、読んでいて辛い。ダメなことだと自分で判っているだけに、やるせなさは増す。この心情が判る人も、決して少なくはないと思うのである。しかも、タマミとしては、葉子の存在が、自分の生活圏を脅かすものだった、というのも絶句する。せっかく幸せだったのに、お前がやってきたせいで!…という。そんな切羽詰まったものなのである。タマミに肩入れしてしまうせいで、葉子のおびえに、ほとんど何も感じないのも仕方ない…。

タマミの行動力が想像を越えたものなので、ギャグになってしまっている感じがあって、それも面白さのひとつ。当時、そこまで楳図かずおが意識していたかは判らないけれど。まことちゃんの変形のようにも見える。あと、終盤でのミステリ的な展開がうれしい。ばあやの田舎で知りあう高校生の高也は、探偵の趣味があるんだ、と葉子にいきなりな自己紹介をするが、それに相応しい役回り。

それにしてもこの父親、ひどくないか。他の人たちもさりげなくひどいことを口にしていたりして、この作品が描かれた当時の、まだ色んな事情に配慮することがなかった乱暴さが、さらに暴力的に思える。 

現在はこちらの版で読める模様。キンドル版もあり。